虎と朝までドライビング

11.

 病院に辿り着くと、周は脇目も振らずに病室を目指した。エレベーターを待っていられず階段を駆け上る。
 その後ろから泰我も無言でついてくる。一人で大丈夫だと言ったのに「俺も行く」と言って聞かなかったのだ。
 病室のカーテンを開けると、呼吸器をつけて眠る保之の枕元に、近藤が背を丸めて付き添っていた。
「近藤さん!」
 声をかけると、近藤はすぐに振り向いた。
「周ちゃん……」
「近藤さん、父さんは?」
 息を切らせ問いかける。近藤は頷いた。
「大丈夫。手術は無事成功したわ。悪いところは全部摘出したから、あとはしばらく入院して様子を見ましょうって」
 近藤の口から簡単な説明を伝え聞く。駅前で突然血を吐いて運ばれた保之は、ストレス性の胃潰瘍と診断されたようだ。
 とりあえず命に別状がないことが分かり、周はほっと息をついた。
「保之さん、随分と疲労が溜まってたみたい」
 近藤が保之の丸い額を撫でながら言う。
「疲労って……」
 周は思わず口の中で苦く反芻した。
「父さん、何も仕事してないじゃないか。いつも石拾いにばかり行って……学校の仕事なんて全然……」
 周はベッドで眠る保之を見下ろした。父の代わりに借金返済に奔走したここ数ヶ月の記憶が、忌々しい気持ちとして蘇る。
「違う。それは違うわ周ちゃん」
 しかし、近藤は静かに首を振った。
 そして、ベッドサイドのテーブルに置かれた黄色い紙を手に取り、周に「見てみて」と促す。
 広げると、「西門ドライビングスクール」と書かれた文字が目に入った。そして、所々に付着した血痕。
「このチラシ……」
 周は顔を上げた。周の作った覚えのない種類のチラシだった。手書きの文字は保之の筆跡だ。
「保之さん、いつも暇を見つけては駅前でこのチラシを配ってたのよ」
 近藤が目を伏せて説明する。
「どうにか生徒が増えれば経営も楽になって、借金も返せるかもしれないって。雪空の中、毎日毎日一人で……」
 近藤の語尻が震えている。きっと、ずっと知っていたが、周には口止めするよう保之から言われていたのだろう。
 恥ずかしがり屋な父が、近藤にだけ「よろしくお願いします」とチラシのコピーを依頼している様が容易に想像できる。
「救急車に運ばれているときも、手放さなかったの。そのおかげでうちの事務所にすぐに連絡が入ったわ。保之さん、保険証持ち歩いてなかったから」
 周は父の顔をもう一度見た。
 土気色の肌をして眠る父は、こんなに白髪が多かっただろうか。目元に深く隈を浮かべ、点滴を受ける手の甲は皺枯れた血管を浮かばせている。
「父さんは馬鹿だ……」
 周は鼻を啜った。
「こんなことして、生徒がそんなに簡単に集まるわけもないのに……」
「周」
 細かく震える肩を、泰我が後ろから支えてくれる。温かい手に、胸が詰まっていっぱいになった。
「そもそも最初に借金をしたのだって、僕が上京したいってワガママ言ったからなんだ。お金もないのに、無理して生活費を持たせてくれて」
 誰に聞かせるでもなく呟く。
 借用証明書の日付を見て、本当はとっくに気づいていた。けれどずっと気づかないフリをしていた。
「三年前の入院費用だってそうだ。僕が払うって言ったのにいつの間にか父さんが払ってて……僕なんかのために、どうしてそんな」
 溢れ始めた涙が滂沱となって頬を伝う。
 ありがとう、と伝えるタイミングなんて、いくらでもあったはずなのに。
 どうして今まで何も言ってやらなかったのだろう。どうして父をもっと理解してやらなかったのだろう。
「親ってのは、そういうものなのよ。周ちゃん」
 近藤が丸椅子から立ち上がる。
「いつまでたっても自分の子供は子供。心配でしょうがないの。何かできることはないかって、ついお節介を焼いてしまうのね。だから、分かってあげてほしい」
 そして、泰我の腕に支えられ泣き崩れる周の頭をそっと撫でて言う。
「周ちゃんは、保之さんのたった一人の大切な、大事な子供なのよ」
 温かな言葉に、胸につかえていた氷が一気に溶け出していく。
 病室のカーテンが風に揺れ、白く曇った窓越しに、軒先に連なった氷柱が音もなく地面に落ちていった。



 夕焼けに染まる西郷の村を助手席の窓から眺め、周はぼんやりと時が流れるのを肌で感じていた。
 保之の容態は順調に回復し、あと三日もあれば退院できるだろうと、さっき見舞いに行ったときに医師から言われた。
 それはほっとすると同時に、新たな選択を周に迫るものであった。
 卒業検定を兼ねた最後の自由経路教習は、同時に泰我との別れを意味する。
 いつものように教習車に乗り込んで出発したあと、泰我は普段通りエンストを連発しながら、信号無視で自由に西郷の村中に車を走らせた。
 普段だったら口煩く注意するところだが、周は口を噤んだまま、なるべく泰我のほうを見ないようにした。
 そうでもしないと、せっかく固めた決意が音を立てて崩れていってしまいそうだったからだ。
 泰我が何度かちらちらと視線を寄越していたのには気づいていたが、周は目を伏せ、車の排気音だけをずっと聞いていた。
 しばらく走って、車が静かに停止したのは、見晴らしのいい高台の公園だった。植物園が併設された、西郷村唯一の観光施設である。
 夕焼けを一望できる駐車場には、平日ということもあって、教習車のほかに車はおろか人の姿も見当たらない。
 無言でエンジンを止めた泰我が何を言おうとしているのかは分かっていた。
「返事を聞かせてくれ、周。俺と一緒に東京に来てくれるか?」
 泰我がぼそりと口を開く。泰我もきっと、聞かずとも返事は分かっている。
「……ごめん。それは、できない」
 周は用意していた答えを、一言一句ゆっくりと区切りながら音にした。
 病床の保之を一人残して泰我と東京に行くわけにはいかない。簡単なことだ。
「どうしてだ」
 夕焼けに照らされた泰我の横顔が、自嘲に歪む。
「やっぱりヤクザなんて嫌か」
 違う。そういうことじゃない。
 周は膝の上で拳を握り締めた。
「みんなそうだ。俺が半井組の跡取りだと知ると一歩引いてっちまう。友達なんてできたこともなかった」
 泰我は両腕でハンドルに寄りかかりながら、誰に聞かせるでもなく呟く。
「周だけが俺を見てくれた。まっすぐ俺に向き合って叱ってくれた。それが嬉しかったんだ」
 泰我の言葉にこの十八日間のことが走馬灯のように蘇る。
 最悪の出会いから始まって、いつもいがみ合ってばかりのような気もしたし、笑い合ったり助け合ったり、そして、いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていた。
「泰我は生徒で、僕はただの教官だ。それ以上でもそれ以下でもない」
 震える奥歯を噛み締め、周は言い切った。
 そうやって分別をつけなければ。この気持ちに引導を渡さなければ。
 ただそれだけの関係だったのだと、言って聞かせなければ、いつまでも未練がましく忘れられなくなってしまう。
 垂れる鼻を手の甲で拭っていると、泰我は笑って、
「相変わらず嘘が下手だな、周は」
 と、頭をぐりぐりと撫でてきた。まるで犬にするように乱暴で、でも優しい手つきだった。
「お前、俺のこと好きだろ?」
「違う……」
「好きになってくれたんじゃねーの?」
「……っ」
 泰我に正面から顔を覗き込まれ、周は息を詰まらせた。
 何もかもを見通すような強い視線。最初はこれに惹かれたのだ。自分にはない自信に満ちたその目が。自分にだけ向けられる優しい色を帯びたその瞳から。いつしか目が離せなくなっていた。
「もういいだろ。勘弁してくれ。今日の教習はこれで終わりだ。判子なら……やるから」
 泣きそうな声で周は顔を背け、泰我の肩を退ける。しかし、泰我は譲らなかった。
「判子なんていらねぇ。周からのキスがほしい」
 それはいつかも聞いた泰我の我が侭。
 けれど、あのときはそんなに切なそうな声で言ってはいなかった。
 縋るような目で見つめてはいなかった。
「どうしてだ……どうして」
 周は唇を震わせた。
「僕は、金のためにお前に抱かれようとしたんだぞ……、お前に好かれれば借金を返せるかもしれないって……思って」
 語尾が立ち消える。言葉にしてみると、改めて自分の浅ましさに嫌気がさす。
 吹雪の夜のことだ。これを聞いたら泰我もきっと自分を嫌いになるだろう。それぐらい泰我の気持ちにあぐらをかいて、ひどいことを考えた。
「ごめん」と今更ながらに謝ると「気にするな」と泰我は周の頭を抱き寄せた。
「でも、できなかったんだろ。それが周だ。意地っ張りで不器用で、自分に嘘がつけない。そんな周だから好きになったんだ」
 泰我の指が周の頬に伝う涙を拭う。
「あのとき、周が何を考えてるかぐらい分かってた。でも、俺はそれでも利用されてもいいって思ったんだ。……それぐらいお前に溺れてる」
 低く掠れた声は周の耳朶を直に火照らせた。
 目が合うと、泰我は照れ臭そうに微笑んだ。
「本当はこのまま周を東京にさらってっちまいてぇ。教習の間だけじゃなくて、これからもずっと一緒にいられたら……」
「……泰我」
 名を呼ぶと、つい咎めるような声になってしまった。
「わかってる。無理言って悪ぃ」
 すぐに泰我は目を伏せた。
「なぁ、周」
 そして、周の首筋を撫でながら訊いてくる。
「もし、保之さんが良くなったら、そのときは俺のとこに来てくれるか?」
 その質問には、すぐに頷きたかった。泰我の目が僅かに不安を滲ませているのが分かったからだ。
けれど、周はしばし考え、静かに首を振った。
「わからないよ。先のことなんて」
 ゆっくりと言葉を選びながら言って聞かす。
 これは泰我にだけでなく、自分への戒めでもあるのだ。
「お前はまだ若い。これから色んな出会いがあって、色んな人に恋をするだろう。そうしたら分かるさ。この恋が、一時の気の迷いだったって」
「迎えにくる」
 泰我は間髪入れずに答えた。
「絶対に迎えにくる。こんなことで周を諦めたくねぇ。気の迷いだったなんて、んなこと勝手に決めんじゃねぇよ。怒るぞ」
 泰我の目は本気だった。低められた声は隠し切れぬ怒気を湛えている。
 周が一瞬怯むと、泰我はすぐに悪戯小僧のように片頬を膨らませてみせた。
「俺は諦めが悪ィんだ。知ってるだろ?」
「知ってるよ……、本当にもう……お前は」
 言いながら、周は両腕を泰我の首に回した。
 胸に沸き上がるこの気持ちはもう隠せない。
 ――完敗だ。
 泰我の顔を引き寄せ、乾燥した唇にゆっくりと己のものを押し当てる。
 触れるだけのキス。たったそれだけのことに、どれだけ勇気を要したか、泰我は一生知ることもないだろうし、知る必要もないと思った。
「卒業おめでとう、泰我」
 静かに言い、周は精一杯微笑んでみせた。
 どうか教習所を去る泰我が最後に思い出すのが、この顔でありますように。
「あとは免許場に行って本試験を受ければ合格だ。もっとも、もう僕はそこまで面倒見てあげられないけど」
「周」
 泰我が両腕を広げ、抱きついてくる。
「好きだ。好き」
「……うん」
 頷くことしかできない。そんな自分を卑怯だと周は嗤った。
 同じ言葉を返してやりたいのに、一度口にしたら最後、想いが溢れて我慢できなくなってしまいそうで、怖くてたまらなかったのだ。
「なぁ、いいか?」
「……ここで?」
「ここでしたら、思い出すだろ? 俺に抱かれたこと、忘れらんねぇようにしてやる」
 泰我はいとおしげに何度も周の頬を啄ばみながら、伺いを立ててくる。
「悪趣味だな……」
「なんとでも言え」
 薄く微笑むと、泰我は助手席のシートを倒し、その上に周を横たえると、
「今日は朝まで帰さねぇ。覚悟しとけよ」
 と言って、流れる動作で上半身のスウェットを脱いだ。
 夕焼けに照らされて、きらきらと泰我の背中で虎が赤く輝いている。
「……それじゃあ、またお前のSPが探しに来ちゃうな」
「大丈夫だ。今日は邪魔すんなってあらかじめ言っといたから」
「何だよ。最初からそこまで計算済みかよ。……まったく……お前って奴は」
 泰我の手がもぞもぞと周のズボンの前を寛げてゆく。
 狭い車内では動きづらくて、服を脱ぐのも一苦労だ。周は黙って腰を浮かせ、泰我に協力した。
「痛いのはいやだ」
 そして唇を尖らせて言う。せめてもの照れ隠しだ。
「おぅ。力抜いとけよ」
「ついでに言うと、苦しいのはもっと嫌だ。僕が駄目だって言ったら、さっさと終わらせろよ」
「無理言うなよ」
 泰我が困ったように眉を下げる。
 そして覆い被さるように腕の中に周を囲い、さらさらと髪を撫でながら言う。
「これでも、お前の前で理性保ってんの、やっとなんだからよ」
「理性なんて、いつもないくせに。よく言うよ」
「相変わらずひでぇな周は。俺に向かってそんなこと言う奴は、世界中探したって周だけだぜ」
 泰我の赤い髪が再び周の下半身へと潜る。
「……ッ」
「息詰めんなって。吐き出せ」
 後孔に指を突きたてられたときは、さすがに息を呑んだ。
「難しいこと……言うなっ」
「いつも難しいこと言って、俺に教えてたのは周だぜ?」
「あっ…、アッ……泰我っ」
 泰我は何度も指先を唾液で湿らせ、固く閉じた蕾を解そうと、長い指で周の中を探ってくる。
 たった一本なのに、こないだよりも強烈な異物感に周は反射的に体を強張らせた。
「ここはどうだ? 気持ちいいか?」
「……わからないよ、なんだか変な感じだ」
 なんとか違和感をやり過ごそうと、ハッハッと息を吐いていると、泰我が首を傾げ中で指を回転させてくる。
「じゃあここは?」
「……っ、ぅあ! な、何だそこ」
「お、当たり?」
 びく、と腰が跳ねたのは一瞬だった。
 泰我の指先がある一点を掠めたとき、体の奥に信じられないような痺れが走ったのだ。
「見つけた」と言って泰我は嬉しそうに鼻歌を零す。そしてぐにぐにとそこばかりを重点的に指の腹で擦ってきたものだから、たまらない。
「あっ…、あっ……やめ……」
「なんで? 気持ちいいんだろ? ここ」
「やっ…ッぅあ! やめろっ泰我! んな」
 強烈すぎる感覚に、視界が白く点滅する。がくがくと大きく広げた内股が痙攣し、それが快感だと気づくまでにしばらく時間がかかった。
 所在なげに股の間で震えていた周のペニスが触ってもいないのにゆっくりと頭を持ち上げる。
「あっ……ッン、だ、変だ、こんなの……」
「何もおかしくねーよ。いいから素直に感じとけって」
 泰我の指が二本に増える。ぬぷぬぷと水音を立てて抜き差しをされ、まるでそこが性器になってしまったような感覚さえ覚える。
 こんな快感は知らない。強引に引きずりだされるような、全身が沸騰してしまったかのような快感は。
 あ、あ、と小刻みに体を震わせ喘いでいると、
「先に一回イッとくか? 前、勃ってる」
 と言って、泰我がぺろりと舌なめずりをし、周の前に手を伸ばす。
「い、いい……っ、僕ばっかり……んて、ずるい」
「ん?」
 周は大きくかぶりを振った。後ろと一緒に前まで扱かれたらもう本当にどうかなってしまいそうだ。
 それに、一方的に愛撫を施されるばかりなのも癪だ。自分ばかり余裕がないみたいで恥ずかしい。
「泰我も、イけよ。も、我慢しなくて……いいから、さっさと挿れろっ」
 泰我の前髪を掴み、ヤケになって叫ぶ。
 泰我だってとっくに前を固く勃起させているのに、どうしてこんなに平静としていられるのだろう。悔しい悔しい。
 泰我はきょとんとしたように目を瞬かせたあと、それはもう嬉しそうに極悪な笑みを浮かべた。
「……もう少し可愛げのある誘い方できねーわけ?」
「うるさ……っ」
「嘘。可愛いぜ、周」
 泰我は軽く周の瞼にキスをすると、周の中から一気に指を引き抜いた。
 その僅かな衝撃にすら、火照った体はぶるりと浅ましく反応を返す。
 高く足を持ち上げられ、両脚の間に泰我の太腿が押し入ってくる。腰を引き寄せられ、泰我の眼前に余すところなく晒された秘部に、泰我が躊躇いがちに欲望を擦り付けてきた。
「いいのか? 本当に行くぞ」
「いいっ、から……早く……」
「お、おう」
 泰我のエラの張った先端が、ぐいっと蕾を押し破り、中に挿入ってくる。
「アッ…ンあ! ぐっ……ぅ」
 その痛みに周はどっと全身に脂汗を浮かべた。十分慣らされたと思っていたけれど、指と泰我のペニスとでは当たり前だが太さが違いすぎる。
 みちみちと今にも裂けそうな音を立てて泰我がゆっくりと自身を沈めてくる。
 あまりの痛みと内臓を押し上げられる圧迫感に、周は口元を抑えた。固く奥歯を噛み締めていないと、悲鳴と一緒に込み上げる嘔吐感に負けてしまいそうだったのだ。
「周、周っ?」
「……はっ、ぁ……あ?」
 意識を朦朧させていると、泰我が上体を曲げ、周の頬を叩いてくる。心配げな表情だ。
「やっぱ、痛いか?」
「いいよ……大丈夫だ。気にするな」
 周は震える腕でぎゅっと強く泰我の背を抱き寄せた。
「痛いぐらいのほうがちょうどいい。この体に刻み込んで、忘れさせないでくれ」
 懸命に余裕ぶって言ったつもりだったのに、語尾が獣のように掠れてしまう。
 それも当たり前だ。発情した虎の性器を体の奥深くに受けて、獣のように抱き合っているのだから。
「そんなこと言って……知らねぇぞ、壊れちまっても」
「望むところだ」
 周は被せるように言った。
「エンスト再発進は、お手のものだろう?」
「……違いねぇ」
 一拍置いて、泰我がくつくつと喉を震わせる。久しぶりに見た、いつもの泰我の笑顔だ。
 周はほっと息をついた。まだ痛くて苦しくて仕方ないけれど、うずうずと動きたそうに我慢をしている泰我が可哀相で、小声で「いいよ」と囁いた。
 途端に、中で泰我が大きく膨らむ。
「イッ…ぅ、ぐ……」
 その圧迫感たるや、軽く揺さぶられるだけで視界がちかちかと点滅するほどの衝撃だ。
「周」
 泰我が名前を呼びながら、控えめに律動を開始する。
「あっ…ハッ、はっ……泰我……」
 周は霞む視界の中で必死に泰我を探した。
 大きく広げられた脚は痛むし、泰我が腰を打ちつけるたびにシートの上にずるずると押し上げられる。
「いいな、それ」
 泰我の顎から汗が伝って、周の胸に落ちる。
「名前、呼べよ。もっと」
「ンぁ……あっ! あ……」
 泰我の手が、ほんのりと芯を通し始めた周のペニスを掴む。律動に合わせて扱かれ、強制的に快感を引きずり出されていく。
「やっ…ぅあっ、たい、が……泰我!」
 過ぎる快楽に唇の端が飲みきれぬ涎が伝った。しかし、泰我は「もっとだ」と言って許さない。
「今夜は俺のことしか考えられなくしてやる」
「まっ……待って」
 周は咄嗟に泰我の腕を掴み、その動きを封じた。
 最初からこんなに激しくされたら、本当に壊されてしまう。
「甘えん坊だな、お前は。本当にもう」
「おう。知らなかったのか?」
 一呼吸入れるつもりでキスをせがむと、泰我はいつもの調子で飄々と答える。
 ――そんなのとっくに知ってたよ。
 周は泰我の首に腕を回し、飽きるほどのキスの合間に微笑んだ。
 そんな子供っぽい独占欲すら今は心地よい。
「あっ……ぅン…っ、はっ」
 泰我が再び動き始める。穿つ角度が変わり、中の敏感なところを掏られた瞬間、周の全身を電流のような快感が走りぬけた。
「イッ! っ、ぁ、あ……」
 周の意思に関係なく、泰我の手に握られたペニスの先端から透明な蜜が溢れ出てくる。
 それは射精とはまた違う穏やかな絶頂だった。
「あ…あ……、うそ、なんで……」
 自分の体に何が起きているのか分からなくて戸惑っていると、泰我が切羽詰った声できつく抱き締めてきた。
「くそっ……周ん中、超絡みついてくる」
「言うなっ、バカッ……あっ!」
 それは自分でも分かっていたことだ。軽くイッたことで反動でより泰我をきつく咥え込み、肉壁が奥へ奥へと誘う。
 中を犯す泰我の形まではっきりと分かるようだった。
「ふっ…ぅ、うっ、ン……ぁ」
 鼻に抜ける甘い声が女のようで恥ずかしく、指を噛んで堪えていると、泰我が弾む吐息混じりに耳元で訊いてくる。
「な、周っ、中で…いいか?」
「……は、ぁ? んン?」
 最初は何を問われているのか分からなかった。しかし、
「シート汚しちまったら、さすがに怒るだろ」
 と重ねて囁かれ、思い当たった周はカッと頬を火照らせた。
「……今更、聞く。か……それ…っ…」
 そんないちいち断らなくても、既に車も自分も泰我が汚したものでいっぱいだ。シートに染みこんだ汗やにおいはしばらくは取れないだろう。
「ダメか?」
 泰我が上目遣いに訊いてくる。ぐっと深く体を折られ、最奥まで一気に泰我が侵入ってくる。
「……っあ、いいっ! 何でもいいか……もっ…」
 周は悲鳴混じりに叫んだ。もうこれ以上はダメだ。過ぎる快感に体がもたない。
「ハッ……俺も……っ」
「あっ…アッ、っ…は」
 泰我の動きが速くなる。接合部から響く淫靡な水音が教習車に響き渡り、思うさまに揺すられると声が止まらなくなった。
 いくら人気がないとはいえ、公園の駐車場に停めた車内だ。窓から覗かれれば何をしているのかなんて一発でバレてしまう。
 けれど、もうバレても構わないと思った。夕陽に照らされた泰我の整った眉目が、切なく潜められる。
 力強い腕で抱き締められ、灼けるように熱い欲望で穿たれ、翻弄され、束の間の幸せに視界が涙で滲む。
「やべっ……イクっ、イくぞっ、あまねっ」
「あっ……あぅっ、ぅンっ!」
 一際深く叩きつけられ、泰我の腰がぶるぶると震える。遅れて中に温かな奔流が注ぎ込まれた。
 同時に弾けた周のペニスから零れる蜜を最後の一滴まで絞り取ろうと泰我の手が上下に動く。
「ハッ…ぁ、あっ……あ――」
「周……」
 細かく痙攣を繰り返す周の体の上に、泰我がどさりと体重を預けてくる。
 胸と胸が被さり、全力疾走を終えたあとのように高鳴る互いの拍動をしばらく黙って聞いていた。
 繋がり合った部分から飲みきれない粘液が零れ、周の太腿を汚す。どろどろに蕩けた中はなおも泰我を離したくないと浅ましく蠢き、どこまでが自分のものか、もう境が分からなくなってしまっている。
 このままずっと抱き合えていたらどんなに幸せか。
 けれど、泰我は明日には東京へ帰る。
 かつて「連絡するね」と約束をし卒業していった生徒が皆そうだったように、泰我もまた、普段の日常へと戻れば記憶が薄らいでいくだろう。
 この村で教習を受けたことも、自分と過ごしたこの十八日間のことも――きっとすぐに忘れる。
 迎えに来る、と泰我は約束してくれたけれど、そんな言葉で泰我の将来を縛りたくはない。
 いつかいい思い出だったと笑い合える日が来るはずだから。
 今はまだ切ないけれど、泰我と走るラストドライビング。せめて今日だけはこのまま朝まで抱き合っていたい。
「どうした? 周」
「ううん」
 夕陽の沈んだ紫色の空。泰我が指先で周の前髪を弄んでくる。
 ――好きだよ、泰我。
 何度も喉元まで出かかったその言葉は、結局最後まで口にすることができなかった。