雷神とナマズ姫

3.

「この度は当方の下使いが失礼を致しました」
 どうにか一命を取り留め大広間へ通されると、ヤマジは上段の間へ向かい深く頭を下げた。無論、その隣でジンも凄まじい力でヤマジに後頭部を押さえられ、額を畳にすり付けていた。
 上段の間には、仏頂面で腕を組む鹿島の国主・鹿島入道震斎と、その背中に隠れて時折おどおどとこちらに視線を向ける青い髪の少女の姿があった。
「娘のナマズじゃ」
 震斎はむっつりとした声で、傍らの少女を紹介した。肩を押され、ジンとヤマジの衆目に晒された少女は嫌々をするように震斎の袖に顔をすり付ける。湯を使ったのか、全身にこびりついた泥はすっかり落ちていたが、長く伸びた前髪のせいで顔はまったく確認できない。
 けれど、その横顔からは見えたのはぴょんと肩の先まで伸びたヒゲ。左右の頬から二本ずつ。普通の人間にはありえないものだ。
(この娘……化け物憑きか)
 ジンは土下座をしながら、ちらちらと奇妙な少女を覗き見た。噂には聞いたことがあったが、こうして異形の娘を間近で見るのは初めてであった。ジンの視線を感じたのか、少女は神経質そうにヒゲを揺らす。この様子ならば震斎が城の奥で隠すように育ててきたというのも頷ける。異形の人間は災厄をもたらすと忌み嫌われ、物心のつかぬ内に秘密裏に処分されるのが通例だ。外見だけではない。その子供が持つ『力』を恐れてのことだ。
「顔を上げよ」
 震斎の一言で、ジンとヤマジはゆっくりと上体を起こした。
 とっさにヤマジが色仕掛けで震斎の機嫌を取ったおかげでジンの首の皮はかろうじて繋がっている状態で、今もまだ怒りは収まらないのか震斎の脇息の側にはしっかりと刀が置かれていた。
「一月ぶり……でございますかね」
 ヤマジが静かに口を開く。
「再びお目にかかれて光栄ですわ、お大尽。本日はお招き頂きありがとうございました」
「う、うむ」
 髪飾りをしゃらりと鳴らし、ヤマジが頭を垂れる。焚きしめた香の香りが上段の間まで届いたのか、途端に震斎の鼻の下が伸びた。
「して、本日のご依頼は?」
「ああ、そうであったな」
 ヤマジが扇を取り出し小首を傾げると、震斎は表情を引き締め、思い出したように言った。
「来月の雷神祭」
「雷神祭……でございますか?」
「うむ。実に三十年ぶりに行われる神降ろしの儀だ。雷神の谷へ上り雷神の神託を受ける――本来なら今上帝の恙雅様が行うべき儀であるが、恙雅様はまだお若く御体も弱い。そのような場合に備え、代々将軍家が皇室の代わりにその任を代行してきた。けれど、その将軍家はもうない」
 わかるな? と間を置いて、震斎が目を光らせる。その言葉が暗に十五年前の革命のことを指しているのだと、察しの悪いジンでも理解した。皇室の権威を奪い暴政を欲しいままにしていた将軍家を、現政府の中核を担う若き志士達が倒したのだ。以来、将軍の座は空位のままである。
「幼かった恙雅様も今年で十六になられた。ご即位の際はうやむやのまま執り行うことのできなかった雷神祭を今こそと望む声が大きくなってきておる。そこでついに政府が重い腰をあげたのだ」
 震斎は脇息の引出を開け、中から長煙管を取り出した。
「無論、将軍に選ばれたからと言って昔のように政治の全権を担うことはできぬ。それでも、雷神祭で雷神をその身に宿すことができたということはこの国随一の武士であるという何よりの証。恙雅様の信頼も勝ち得よう」
 ボッ、と震斎の指先に火が灯る。指を擦り合わせ火を熾したのだ。
 目を丸くするジンをよそに震斎は美味そうに煙管を吸い、続けた。
「現在江戸では一ヶ月後の雷神祭へ向け大規模な武闘会が催されておる。広く雷神候補を募いたいという恙雅様のご意志の現れだ。中には素性の知れぬ浪人風情も混じっているようだが、志願者の大半は家柄、石高ともに申し分のない名家の子息揃いだ」
 震斎はまるで比較するようにジンの体の上から下までをじろじろと眺めたあと、フ、とこれ見よがしに嘲笑を浮かべた。
「ワシは何も次期雷神候補を捕まえてこいと申しておるわけではない。武闘会へ出るくらいじゃ……どこの子息もそれなりに将来有望な若者であろう。ただ、この雷神祭に便乗して、各藩の諸大名が次々と娘を江戸に送り出しているという噂を耳にしてな」
「つまり、江戸は今、格好のお見合いの場が整っていると?」
 ヤマジが口を挟む。震斎は鷹揚に頷いた。
「ワシとてワシの可愛いナマズに婿など取らせたくはない……けれど鹿島の民を思えばこれも致し方なきこと……わかってくれるなナマズ!」
「父上ぇ!」
 震斎が傍らの少女をひしと抱き締める。父娘の感動的な抱擁であった。
「わらわのことはお気に召されるな。わらわは父上のためならば喜んで鹿島の人身御供となりまする」
 ナマズ、と呼ばれた少女が健気な言葉を吐き、鼻を啜る。
「ああ、大身の旗本か大名かは問わぬ。だがせめて一千石。一千石以上の血筋の良い、鹿島の雷神たる資格を持つ屈強なる武士を捕まえてくるのじゃ! 良いな、ナマズ」
「はいっ、父上。わらわは、必ずわらわの雷神様を見つけて参りまする」
「偉いぞ、ナマズ! よく言った!」
 そして再び暑苦しい抱擁。
 上段の間で交わされる異様なやり取りにジンが呆気に取られていると、
「よいかナマズ。江戸へ向かい、雷神祭でこれぞという男を見初めたら、以前ワシが教えた言葉を言うのだ。覚えておるな?」
「もちろんでござります」
 今度は震斎の耳元にナマズが何事かを囁いて、二人でキャッキャッと笑っている。ナマズの頬を突つき、震斎は満面の笑みだ。
(なんだこれ……)
 ジンがどっと脱力すると、隣でヤマジが扇を口元に当て必死に笑いを堪えていた。
「……というわけで、貴様らを呼んだのだ。江戸一の手腕を持つ縁師であるとの触れ込みを聞いてな」
 ようやく娘への頬ずり攻撃を終えた震斎は、急に元の表情に戻りそう言った。
(江戸一も何も、江戸に縁師はこいつしかいねぇけどな)
 ジンはちらりとヤマジの様子を窺い見た。おおかた「江戸一の美人ってのも付け加えてもらいたいね」とでも思っているのだろう。小鼻を大きく広げ、そんな表情を浮かべている。
「貴様らにはこれより江戸までナマズに付き従い、雷神祭終了までの一月の間ナマズを盛り立て鹿島の婿を探す手助けをしてもらう。金に糸目はつけぬ。どんな卑怯な手を用いても構わん。ただしその間……」
 震斎の隻眼が剣呑に光る。
「万が一にもナマズを泣かせてみろ。世界が……終わるぞ」
 地を這うような低い声に背筋がぞっと凍る。その言葉が脅しでも例えでもないことは重々承知していた。先ほど見たナマズの『力』。化け物憑きが持つ不思議な能力。あれはナマズが起こした地震に違いない。
(お、おい……)
 ジンは片肘で隣に座るヤマジを突ついた。
(こんな危ない姫君預かるなんて冗談だろ?)
 頼むから断わってくれ! 今すぐ!
 しかし、そんなジンの必死な願いはヤマジには通用しなかった。
「報酬はそのほうの言い値で構わん」と震斎。
 ヤマジの顔色がすぐに変わった。
「ご安心ください。わたくしどもは縁をひさぐと書いて瓢屋(ひさごや)」
 畳に三本指をつけ、ヤマジは恭しく頭を下げた。
「瓢屋ヤマジの名にかけて、姫君には必ず最良のご縁を見つけて差し上げますこと、固くお誓い致します」
「う、うむ……頼んだぞ」
(だー!!)
 交渉成立。ジンの心の叫びを残し、ヤマジと震斎が微笑み合う。
「ワシは今しばらく野暮用があるため鹿島を離れられぬ。じきに向かうが、そのためにナマズが雷神祭に遅れを取るのは許しがたきこと。そなたらには一刻も早くナマズを連れ江戸へ向かってもらいたい」
 震斎はナマズを膝に乗せ、頭を撫でながら言った。すっかり金の亡者へと成り下がってしまったヤマジは「どうぞ、わたくしどもにお任せください」とすでにやる気満々だ。
「それならば、まずは」
 ヤマジが羽扇をパン、と畳む。
「ジン」
「おう」
「なっ、何じゃ」
 名を呼ばれ、ジンは仕方なく片膝で立ち上がった。上段の間にあがり、震斎の膝からナマズを引き下ろす。いまいち気乗りはしないが、一度引き受けたからにはここからはプロの仕事だ。
 ジンは腰袋の中から両手の指いっぱいに鋏を引っ掛け、取り出すと、おもむろに顔の前で構え言った。
「まずはこのうっとうしい髪からどうにかさせてもらうぜ」
「ひっ」
「神妙に縄につけ! このナマズが!」
 ナマズの体の上に馬乗りになり、鼻先まで伸びた前髪を引っ掴む。ろくに手入れもしていないのかごわごわとした手触りだ。せっかく綺麗な青い髪なのに勿体ない。
 髪結い見習い・ジンの血が怒りに目覚めた瞬間であった。
「い、嫌じゃ! 誰か! 誰か……!!」
 ジンの体の下でナマズが短い手足をじたばたと暴れさせる。
「なっ、何をする! ワシのナマズに」
「お大尽」
 思わず立ち上がった震斎の鼻先を人差し指で押さえたのはヤマジだった。
 いつの間にか震斎の脇息に凭れ、胸の谷間を惜しげもなく見せつけている。
「落ち着かれませ。これから姫君に少しばかり魔法をかけてさしあげるだけのこと」
「む? し、しかし」
 震斎が面食らったように口を噤む。ヤマジは紅を引いた唇を笑みの形に吊り上げ、
「一度任せて頂きましたからには、これからはすべてわたくしどもの流儀にて」
 と言って、優美な仕草で頭を下げた。


 その夜。城の外郭。虫の鳴く音のみが響く静かな闇の中。煌々と照る月明かりを映す堀の水面にふわりと音もなく一つの影が舞い降りた。水面の感触を楽しむように小さな爪先が軽やかに遊ぶ。厚底の草履に真新しい足袋を履いた華奢な足だ。緋色の袴が風にはためく。
「風さん出てきたなぁ」
 白い手が暗闇に伸ばされる。まだあどけない少女の声だ。赤い瞳が細められ城壁の石垣を眩しそうに見上げる。
「どこにおるの? 教えてや?」
 リン、と白い千早の裾につけた鈴が鳴る。と、同時に辺り一面に白い煙が立ち昇った。鋭角に伸ばされた腕の指先。放たれた炎が蛇のように石垣を昇り始めたのだ。
「そこ?」
 たちどころに蒸気となり霧散した堀の底を蹴り、少女の体が宙に躍る。燃え盛る炎が追い風となり、肩まで垂れた赤い髪が生き物のようにゆらゆらと揺らめいた。轟音が響き、城郭の瓦が次々と炎に飲まれていく。異変に気づいた物見櫓の門番が慌てて警鐘を鳴らす。が、間に合わない。瞬く間に金色の鯱の上まで飛び上がった少女は眼下を見渡し、息を深く吸う。両手を広げ炎を操り、城の外壁を手当たり次第に壊していく。ほどなくして薄い唇が笑みの形に引き伸ばされた。
「みぃつけた」
 少女は迷わず天守へと飛び込んだ。目指すは鹿島城本丸。上段の間。襖を何枚も薙ぎ倒し真っ直ぐに進んでいくと、大広間から繋がる奥まった部屋に一人、燭台の明かりを頼りに黙々と文机に向かう後姿が見えた。
「来たな……」
 坊主頭は振り返りもせずに呟いた。硯に筆を下ろし、書き付けていた文を蝋燭の火で燃やす。
「独力でワシの結界を破るとは……力をつけたな」
 少女は無言で男に炎蛇を放った。しかし、すぐさま宙に描かれた円陣に阻まれてしまう。バチバチと炎を散らして男を守るのは蒼紫色に発光する雷陣。
「答えよ、鳳徳の狗よ」
 男が墨染めの衣の下から刀を抜く。
「何が目的だ」
 稲妻を纏う刀身が真っ直ぐに少女に向けられる。男は依然、胡坐座のままだ。
 少女は答えない。男は自嘲するように口元を歪めた。
「いや、問うまでもあるまいな。鳳徳が貴様を差し向けてきたということは」
 男の声が一段と低まる。
「布都御魂(ふつのみたま)か?」
 問う声が耳の遠くに聞こえる。少女は黙って男の背で揺れる蝋燭の炎を見つめていた。ふっと息を吹きかければ今にも掻き消えてしまいそうな逸れ火。
「生憎だったな。目的のものは既にここにはない。帰って飼い主にそう伝えるのだな」
「ないの……?」
 少女はぽつりと口を開いた。
「ないなら、燃やしてもええ? このお城、ぜぇんぶ、ぜぇんぶ燃やしてしもうても、ええよね?」
 瞳はしっかりと蝋燭の火を捉えたまま、少女は小首を傾げた。月明かりの差し込む御簾の向こうから、心地のよい風が吹いてくる。花の香りを運ぶ早春の薫風だ。
「それが主の命ならばやってみせろ。全力でワシが相手をしてやる」
 男の巨体がゆらりと傾ぐ。続いて閃光が奔り、ドン、と足元が揺れた。畳が焦げ黒炎が立ち上る。少女は鬱陶しげに足を引いた。袴の裾が男の放った雷撃で引き千切れていた。
「ウチ、野蛮な男はきらい……」
 少女は呟き、神楽を舞うようにしなやかに体を翻した。男の追撃を器用に避けながら、天井の梁に逆さにぶら下がり、手首を捻る。途端に上段の間は火の海と化した。
「おいで、壱焔(イーファン)。弐焔(アーファン)」
 少女の呼びかけに答えるように燃え盛る炎の中から二匹の炎蛇が現れ、少女の腕に絡まった。
「お腹空いたやろ? あそこに一人ぼっちで可哀相な子がおるの見える?」
 二匹の炎蛇は、四つの赤い目を滾らせ、男を――正確には男の背後の蝋燭の火を見つめた。少女が愛しげに炎蛇の口元に頬擦りをする。
「ええ子やね。ほな、ぜぇんぶ食べたって構わへんで」
 少女の手から炎蛇が放たれる。
「撥ッ!」
 男は咄嗟に雷盾を張った。顔の前で両手を交差し、口の中で呪文を唱える。しかし、業火は男の体を容赦なく飲み込んでゆく。
 巻き上がる熱風に天井が焼け落ち、男と少女の間に瓦礫の山を作る。
「綺麗やなぁ」
 少女は赤く染まった夜空を見上げ、うっとりと息を吐いた。誘われるがまま甍へ上り城下を見下ろすと、街はあちこちに火の手が上がり、けたたましい警鐘に混ざり数多の悲鳴が聞こえた。活路を塞がれた民が蜘蛛の子を散らしたように狂乱の態で四方へ逃げていく。
 それらを冷めた眼で一瞥し、
「けど、あかん。なかった。ここにもなかったで……鳳徳」
 少女は呟くと、崩れ行く甍を蹴り闇空へと消えた。
 それは、江戸から来た縁師の一向が姫君を連れ鹿島城を出立したほんの一刻後の出来事だった。