雷神とナマズ姫

13.

 ヤマジの風に乗り辿り着いた先では、おびただしい瓦礫の山の上でナマズが空に向かい大声で泣いていた。荒廃とした洞窟の岩肌は所々に亀裂が走り、春空から吹き込む冷たい夜風を直接ナマズの元へ運ぶ。
 ジンはナマズの前へと降り立つと、膝を折り、我も忘れ泣き叫ぶ小さな体を正面から抱きしめた。
「遅くなっちまって悪かったな」
 声をかけるも、取り乱したままのナマズは中々ジンを見ようとしない。その間もナマズが起こした大地震は激しく大地を揺るがし続けている。どれだけ怖い思いをさせたのか。一向に焦点の合わないナマズの瞳を苦い思いで見つめ、ジンは少し躊躇ったあと、泣き叫び続ける口を優しく塞いだ。唇を押し当て、抱きしめた後頭部を宥めるようにゆっくりとさする。
 すぐに突き飛ばされるかと思ったが、ナマズは予想外にもじわりと目元を歪ませ、縋るようにジンの背に手を回してきた。地震が収まるにつれ、ナマズの瞳に落ち着きが戻ってくる。
「ジン……」
「ああ。分かるか?」
 長いキスを終え、改めてナマズの顔を正面から見つめると、ナマズは少しだけ呆けたような顔をして、すぐに驚きに目を剥いた。
「どこに行っておったんじゃ、このバカ! 馬鹿ジン! わらわがどれだけ、どれだけ」
 そして再び火がついたように泣き始める。握り締めた拳で力の限りジンの胸を叩く。
「泣けよ。全部吐き出しちまえ」
 ジンはナマズの細い肩を抱き、その拳を甘んじて受けた。腕の中で声を震わすナマズはきっと今まで一度もこのように感情を剥き出しにして泣いたことはないはずだ。いつもワガママいっぱいに機嫌を損ねぬよう甘やかされ、地震が起きないようにと腫れ物のように扱われる。だから今日ぐらいは気が済むまで泣かせてやろうと思った。
 指先で稲妻を繰り、周囲の地面を切り離す。地震の被害を最小限に食い止めるための応急処置だ。
「素晴らしい力だ……このエネルギーさえあれば、日渡は滅亡せずに済む」
 瓦礫の向こうからそんな声が聞こえたのは、ナマズがだいぶ泣き止み始めたときだった。大きな岩を退かし、土を被った褐色の肌がのっそりと起き上がる。破けた軍服の下から覗く左半身は鋼で覆われ、所々から断線したコードがぶら下がっていた。
「鳳徳……」
 変わり果てた宮内卿の名をジンが呼ぶより早く、空から近づく青龍の頭に乗った男が呟いた。
「ナマズ!」
「父上ぇ!」
 ジンの腕の中でナマズがぱっと顔を上げる。震斎を乗せた照葉はジンとナマズの隣に震斎を下ろすと、人型へと姿を変えた。息を呑むような冷めた美貌を持つ青い髪の女が、厳しい視線を鳳徳を見つめる。
「久しいな、震斎」
「鳳徳……」
 瓦礫の中、立ち上がった鳳徳は体中から白い煙を立ち上らせ、震斎に声をかける。幽体のままの震斎を認めると僅かに眉を寄せたが、特に気にした様子もなく黙って口元を笑みの形に変えた。
 震斎は固い声で言った。
「貴様……ナマズに何をした。なぜナマズを狙う」
「愚問だな。問わずともすでに気づいているであろうに」鳳徳は嘲笑した。「その娘を餌に雷神を目覚めさせる。……もっとも、その目論見はとうに叶ったようであるがな」
 鳳徳の視線が不躾にジンに注がれる。鳳徳の言う『雷神』が自分のこと指しているのだと気づいて、ジンは刀の柄を強く握った。
「『適合者』を探す手間が省けた。感謝するぞ、震斎」
 そう言って鳳徳はおもむろにジンの元へ向かい歩き始めた。洞窟内に落石した岩盤をいともたやすく片手で退け、道を作っていく。
「龍神もろとも雷神も能源へ繋ぎ、私はすべての天災の神々の力を手に入れる。そうして恙雅様とともに、強く新しき日渡を再生させるのだ!」
 鳳徳の高笑いが洞窟の中に響く。そしてあっという間に一間ほどの距離にまで近づいた鳳徳は、優雅な仕草でナマズに向かい手を差し伸べた。
「さぁ、こちらへ来るのだナマズ姫。そして新しき雷神の適合者よ」
「ナマズは渡さねぇ……」
 ジンは低く呻いた。ナマズの体を後ろに庇い、三白眼できつく鳳徳を睨みつける。
「ついでに言うと、オレもお前のところへ行く気はねぇ! 何が日渡のためだ。勝手に人の将来決めんじゃねぇよ!」
「鳳徳!」
 震斎がたまりかねたように声を荒げる。
「どうして貴様はそこまで能源にこだわる? 能源など使わずとも神々の力をコントロールする道はあるはずだと、何度も言ったはずだ!」
「貴様の自然追求主義にはもううんざりだ、震斎」
 鳳徳は顔色一つ変えずに言った。
「一度、能源により至便さを手に入れた民衆は、もう能源のない生活になど戻れぬ。革命時に貴様の掲げた自然追求主義が理想論であると気づいたのは、貴様が鹿島へ隠居してすぐのことだったよ。私は裏切られたのだ。貴様は能源システムを破壊するだけ破壊し、その後国の復興には一切関わろうとしなかった。なんという無責任さであろうな! そうしてまた今も、私の邪魔だけをしに現れる」
 鳳徳の冷めた視線が震斎の体を正面から射抜く。それは十五年前の革命の双頭の立役者と謳われた二人の再会であった。
「私は能源を手に入れる。国中へ散った神々を集め、前時代よりも屈強なる能源システムの構築を急がねばならん。私の手元に残った焔神の力だけではもう足りぬ。今は焔神の『力』だけを吸い、能源は最低限のラインで稼動をしている。けれど、私はあやつの寿命がこれ以上縮まっていくのを見ているわけにはいかんのだ!」
 鳳徳は言うと、割れた片眼鏡をチェーンごと引き千切り地面へと投げ捨てた。
「貴様が照葉のために国を壊したように私もヒムカと恙雅様のために鬼になろう。旧友だとて容赦はせぬ。日渡の再興のため、その二人を渡してもらおうか」
 言うやいなや、鳳徳の体を黒い霧が覆った。ブワワ、と鈍い羽音が響く。それはおびただしい数の黒い羽蟲だった。鳳徳の鋼の左半身の割れ目から生まれてきた蟲はジンめがけ一斉に襲い来る。
「くそっ……! 何だこれ!」
 ジンはすぐさま武甕槌剣を揮い、剣圧で起こした雷撃で蟲を焼き払った。だが、鳳徳の体から絶え間なく発生する羽蟲は群れをなし、瞬く間に洞窟の壁を布のように黒く埋め尽くした。
 不気味な光景にジンの背中でナマズが「ひっ」と肩を竦める。ジンはナマズに近づく蟲をすぐに剣で焼き払うも、あまりの数に一向に埒が開かない。すると、
「さては蟲毒を飲んだか……鳳徳の奴め」と背後で震斎の声。
「蟲毒?」
 ジンは目線だけで震斎の幽体を振り返った。震斎は厳しい表情をして、蟲を生み続ける鳳徳の変わり果てた肉体を見つめていた。
「良いっ! 一気に焼き払え!」
 そして、雑念を振り払うように大きく首を振る。
「いいのか? アイツ、お前の……」
「構わん! 蟲毒を飲んだ人間にもはや言葉は届かぬ。生ける狂戦士として死ぬまで戦うだけだ」
 震斎の言葉に、ジンは大きく剣を揮った。ナマズを照葉に預け、地面を蹴ると鳳徳めがけて刀身に宿る稲妻を真っ直ぐにぶつける。が、雷撃は蟲を突き破る前に霧散。瞬く間にジンの視界を覆った。
「舐めんな、コラぁ!」
 ジンは全身の毛を逆立て、衝撃波で全身に纏わりついた蟲を四方に飛ばした。すぐに剣を構え直し、再び目の前の黒い人型の蟲柱へ挑む。鳳徳の腕と思しき塊が高く掲げられ一気に振り下ろされる。途端、ジンの腹を鋭い蟲の角が貫いた。
「ジン!」
 ナマズの口から悲鳴があがる。ジンは衝撃に飛ばされ三間後方にまで後退、だがすぐに体勢を立て直し低く剣を構え直した。
「ジン! ワシを真似よ!」
「あ?」
 震斎の怒声が響いたのはそのときだった。
「説明している暇はない。ワシの印を真似、武甕槌剣を操るのだ」
 いつの間にかジンの横にぴたりと寄り添った震斎は、ジンに雷撃を指導する。素早く両手で印を組み、口の中で呪文を唱える。
「一の撃、結!」
 震斎の手の形を真似、両手の親指を交差させると剣先が固く伸び、鳳徳の足元に大きな落雷が落ちた。蟲柱が怯んだ隙を突き、震斎は声を荒げる。
「二の撃、禮――続いて、闢!」
 顔の前に左手の二本指を立てそのまま前へ突き出す。蒼紫色に発光する雷陣が空中に描かれた。狂戦士へと化した鳳徳がジンに向かい突進してくる。
「劫!」
 剣を逆手に持ち雷陣の中央に力を注ぐ。途端に雷陣から蒼い稲妻が横走りに鳳徳の体を直撃した。だが、鳳徳の足は止まらない。
「仁、撥、解……」
 洞窟の空が割れ、ゴロゴロと紫色の雲が近づいてくる。雷陣の外枠に火が灯り、激しい勢いで回転を始める。鳳徳の手から今までよりも桁違いに大きな蟲が放たれる。
「ゆくぞ。力を溜めよ」
 震斎の声に合わせ、ジンは足を引いた。半身に構え、高く掲げた剣先に紫色の雲から下りてきた稲妻を受け取る。ビリビリと体を震わせる爆音と全身を駆け巡る熱い雷流。ジンは膝をたわめ地を蹴ると、宙へ高く飛び上がった。
「――絶!」
 ぎりぎりまで引き付けた鳳徳の頭上に渾身の力で剣を振り下ろす。重い手応えを感じるも一気に薙ぎ払い、数多の蟲ごと両断する。
「今じゃ照葉!」
 震斎の呼びかける声に青い龍がジンの視界に踊った。大きな口を開け、ジンの剣で串刺しにした鳳徳の体を飲み込んでゆく。照葉の口から滴った消化液は、辺りの蟲を一気に溶かし黒い瘴気として空へ舞い上げる。
「ジン!」
 背後からナマズの駆け寄る声。照葉の腹にすべてが飲み込まれたのを確認すると、ジンはどっとその場に膝をついた。震斎が「ようやった」と満足げに頷いている。洞窟の隙間から覗く空はいつの間にか雷雲をどこかへ流し去り、清かな月夜を見せている。
(終わった……のか?)
 飛びついてくるナマズの体をどうにか受け止めつつ、ジンは己の手を信じられない気持ちで見つめた。電流の痺れがまだ残っているようだ。
「今、貴様へ教えたのは八の剣まで――雷撃剣にはまだ残りの術式が残っておるが……」
 震斎は篭もった息を吐き、どこか残念そうに呟いた。そして、鳳徳の咀嚼を終え人型へと戻った照葉の元へ歩み寄ると静かに手を伸ばした。
「それでは、ぬし様、参りましょう」
「うむ……」
 穏やかな照葉の声に促され、震斎はゆっくりと頷いた。照葉の透き通った青い腕が震斎の肩から首へと愛おしげに回される。その声に不穏な響きを感じ、ナマズはジンの腕の中で顔をあげた。
「何を言っておるのじゃ……」
 問いかけるも、照葉は眦を細めナマズを慈愛に満ちた瞳で見つめる。微笑む母の姿は変わらず美しかったが、どこか胸騒ぎが走る。
「父上、父上の御体はどこにあるのじゃ」
 それはずっと気になっていたことだった。突如、幽体となって現れた震斎。鳳徳を倒すために何らかの考えがあって幽体へと姿を転じていたのかと思っていたが、その目的を達成した後も震斎の体は元に戻らない。
「ここに」
 照葉は目を伏せ、己の腹部をさすった。白い着物の下で照葉が触れた腹が淡い発光を始める。
 母の言っている意味が分からず目を瞬かせるナマズに、見かねた震斎が口を開いた。
「照葉から雷神の要石である武甕槌剣を返してもらった。それは本来、黄泉の国へ向かう照葉に授けたもの」
 震斎の言葉に、ジンは手に握ったままの大きな刀を見た。戦いを終えた今も僅かに稲妻を纏いビリビリと震える直刃の刀身。
「一人で黄泉へ向かう照葉のせめてもの慰めにとワシの分身を預けた。代わりに照葉から受け取ったのは布都御魂――ナマズの要石だ」
 震斎の透き通った指先が、ナマズの足元に転がる黄色い瓢箪を指差す。その表面を照葉の腹と同じ色の淡い光が包んでいた。
「その石のおかげで、今までナマズはどうにか『力』を抑えることができておった。今後ますますナマズは龍神として覚醒してゆくであろう。そうなったとき、もはやワシの力ではナマズを止めることはできぬ。ワシはあくまで照葉の雷神――十五年前にとうに力は失っている」
 震斎はそこまで言うと、ジンに目を向けた。
「ジン……と申したな」
 そして静かな声で言う。
「ナマズを頼んだぞ」
「父、上……?」
 ナマズの声が掠れる。
「ワシは責務を果たしに参るのみだ」
 震斎は目を伏せ言った。
「照葉がワシを呼んでおる。現世に返してもらった分身の代わりに、いざ黄泉へと参らん」
「ぬし様……」
「うむ」
 照葉の呼ぶ声に頷き、震斎は肩に乗った妻の指先に口付けた。
「それでは行くとするか。……待たせたな、照葉……もう良いぞ」
 その言葉を合図に照葉の体がみるみるうちに青い龍へと変じていく。黄檗色の燐粉を撒き散らし、眩い光の中で激しく首を振る龍の姿は凄艶だった。震斎を腕に抱き、照葉は咆哮しながらゆっくり空へと昇っていく。
「いやじゃ、父上……ちちうえぇ……!」
 ナマズの手が震斎の袈裟に縋りつく。しかし、青く透き通った幽体は掴むことができない。ナマズは反射的に空に昇る照葉の首に飛びついた。
「おやめくだされ、母上。父上をお放しください!」
「どうしてです……愛し子よ。わたくしからぬし様までを奪うのですか」
 照葉が金色の瞳をナマズに向ける。ナマズは懸命に首を振った。奪うだなんてそんなつもりはない。ただ――
「ずっと……」
 照葉の声が雷神の谷に響き渡る。
「ずっとわたくしはさみしかった。暗い闇の中で一人きり。けれど、ぬし様が一緒ならば、もう怖くはありませぬ」
 そう言って腕に抱いた震斎に頬ずりをする龍の目には涙が浮いていた。けれど、母の流す綺麗な涙を掌で拭う資格は自分にはない。
「駄目じゃ。そんなの嫌じゃ。嫌じゃ嫌じゃ!」
 ナマズは激しくかぶりを振った。
「父上が母上のもとへ行ってしまわれたらわらわは……わらわはどうすればいいのですか……母上ぇ……」
 震斎が黄泉の国へ行ってしまう。もし本当にそんなことになったら自分はこれからどうやって生きていけばいいのか。ずっと城の中で震斎にだけ愛されて、震斎に甘え、生きてきた。泥の中で一人で眠る冷たさは知っている。そこに宿る寂しさも安らぎも。けれど、それ以上に優しい世界を知ってしまった。自分に向けられる容赦のない視線も、泣き喚く自分を守ってくれる強い腕の中でなら怖くない。
「そこまで言うのならば愛し子よ。そなたも一緒に……」
「は、はうえ……」
 ナマズに向かい照葉の左腕が差し伸べられる。青い龍の肌は霊力を失いつつあるのか、どろどろと泥のように端から溶け、白い骨を覗かせ始めていた。
「お許しくだされ、母上」
 ナマズは母の手から逃げ、肩を震わせた。
「わらわはお供することはできませぬ。父上も、どうかお返しくだされ、母上!」
 泣き叫ぶ声が稲妻となり、大地を激震する。ジンが慌てたようにナマズの元へと駆け寄ってきた。
 龍の体から弾き飛ばされるナマズの体を素早く受け止める。
「わらわは生きたい。生きていたい。けれど、もう一人は嫌なのじゃ!」
 ジンの腕に縋り、ナマズは絶叫した。醜く溶けてゆく母の耳に届いているかは定かではない。けれど、叫ばずにはいられなかった。
「どうか、このまま冥府へお帰りくだされ!」
 嗚咽の滲む声で、足元の地面へ掌を叩きつける。低い地鳴りとともに巻き上がる風に青い髪が広がる。冥府がどこにあるのか、どうやって照葉を送り返せば良いのか分からなかったが、無我夢中で空中に円陣を描き、指先で青い光を迸らせる。それはナマズが持つ最も古い記憶――母の腕に抱かれ見た絵巻物の一頁に描かれた呪い図。
「ナマズ!」
 ジンがナマズの手首を捉える。ナマズは泣き腫らした目でジンの黒い瞳に縋った。
「どうすればいい? どうすれば良いのじゃ、ジン! 父上が」
「知らねぇよ、オレだって」
 ジンの切羽詰った声。震斎から授けられた武甕槌剣の柄を苛々と握りながら、天に昇っていく龍の姿を成す術もなく見守る。
「黄泉への道を開けるのは、雷神とその眷属・四神だけ」
 声が聞こえたのは、龍の遥か上空。緑色の雲に乗った赤い髪の少女がジンとナマズに呼びかける。
「ヒムカ! ヤマジも」
 ジンは驚きに目を見開いた。雲の上には見慣れたヤマジの銀髪も見えた。雲が風に乗り、瞬く間にジンの元へ降りてくる。
「地震、雷、火事、旋風――いずれか二神の力が合わさったとき、初めて異界へ通じる門を開けることができる――鳳徳はそう言うてた」
 ヒムカは相変わらずぼんやりとした表情で平坦な声を響かせる。だが照葉の姿を認めると厳しく目を細めた。
「加勢するよ、ジン。アンタに借りは作りたくないからね」
 雲から降り立ったヤマジが、ジンに背を向け前に立つ。すぐに大きな風の楯を四人の周りに張った。ヒムカの放った炎塊が照葉の尾に命中する。大きく悲鳴を上げて龍の体が傾ぐ。
「今だ。門を開きな!」
 ヤマジがジンに鋭く目配せ。雷撃を放てと言ってくる。
「んなこと言ったって!」
 ジンは叫んだ。
「やり方なんて知らねぇぞ! できるか!」
 剣を握り戸惑っていると、
「できる! そなたの力を信じろ、ジン!」とナマズ。
 床に鮮やかに描いた青い円陣の上に跪き、両手を合わせ口の中で呪文を唱えると、ナマズは掌を勢いよく円陣へ叩き付けた。
「それでもそなたはわらわの雷神様か!」
 嗚咽混じりに鼓舞する声。強い意志を灯し輝く青い瞳に正面から見つめられ、ジンは反射的に手に持った刀身に電流を集めていった。ビリビリと体の奥底から湧き上がる強い思い。
「ちっくしょぉおおおおお!!」
 ジンは限界まで溜めた稲妻を刀に乗せ、一気に円陣の中央に突き立てる。その瞬間、洞窟の壁面に亀裂が走り、轟音とともに大地が裂けた。
 ナマズの描いた円陣の中央に青い光渦が渦巻いている。
「ヒムカ!」
 ヤマジが叫ぶ。それより先に飛び立ったヒムカは、照葉の背後へ回りその口から業火を吹く。白骨を剥きだしにした龍が火に煽られ、ジンの元へ崩れ落ちてくる。
「父上っ!」
 龍の口から吐き出された黒い瘴気に混じり、落下してくる体に気づき、ナマズは声を張り上げた。ヤマジの風がすかさず震斎を受け止める。どれほど長いこと龍の腹に収まっていたのか、震斎の墨染めの衣は見る影もなく溶け、僅かに下衣を残すのみだった。
「照葉……」
 ナマズの腕へと降りてきた震斎は、うっすらと目を見開くと震える手で円陣の中へと飲み込まれてゆく妻の姿を追った。だが、開かれた黄泉への門は容赦なく照葉の体を光渦の中へと引き込んでゆく。ジンは必死に円陣へ稲妻を送り続けた。
 もがき苦しむ龍の姿が幾重にもぶれ、時折女の顔を覗かせる。「ははうえ……」とナマズが罪悪感に泣いている。しかし、ヤマジが癒しの風を照葉に吹きかけると、照葉は急に安らいだように瞳を伏せ、最後に震斎へと微笑みかけた。
「ぬし様、どうか、つつが無きよう……」
 白い手が伸び震斎の腕を取る。その間際、青い光が一閃し、龍の体は瞬く間に霧散した。辺りに立ち込めるのは僅かばかりの瘴気と細かく舞い散る黄檗色の燐粉。雪のようにさらさらとナマズの頭上に降ってきた。ナマズは小さな掌の中にそれを掴み、胸元に抱き寄せた。
「母上……ははうえ……」
 ヤマジがジンに目配せをしてくる。皆まで言われずともジンは立ち上がった。
 地面に蹲り静かに揺れる肩。その小さな体をジンは後ろからそっと包んでやることにした。