雷神とナマズ姫

11.

 コポコポと不気味な音を立てて緑色に発光する大きな水槽。広い実験室に所狭しと並べられたガラス張りの円柱の中をヤマジは一つ一つ確かめていった。
「ヤマジ? 何じゃここは。薄気味悪い……恙雅様の元へ行くのではなかったのか?」
 ヤマジの背を心細げについて歩くのはナマズ。初めて訪れる能源塔の内部の様子に戸惑いを隠せないようだった。
 きょろきょろと薄暗い部屋の中を見渡し、時折床に這ったコードに躓き小さな悲鳴を上げている。城の堀から地下道で直結した能源塔の内部に入るのは、ヤマジも十五年ぶりのことであった。記憶と微塵も変わらぬ埃蒸した空間。響き渡る電子音。唯一違うのは、緑色の培養液に浸されたバイオマスが今は一匹たりとして水槽の中に居ないことだけだ。
「のぅ、ヤマジ」
 ナマズがヤマジの着物の袂を引いてくる。その顔は言い知れぬ不安に暗く曇っていた。
「いつまでここに居るつもりじゃ? 早う戻ろう。嫌じゃ。わらわ、ここに居とうない」
 ピッピッと規則正しく刻まれる蛍光色のモニタを怯えた目で見上げ、ナマズがぶるりと肩を震わせる。ひんやりとした風がヤマジとナマズの足元に通り過ぎていった。
 ヤマジはナマズに構わずさらに実験室の奥へと歩を進めた。そして、最奥に近い、祭壇に囲われた一際背の高い水槽の右隣へ目を向け、ヤマジは息を呑んだ。慌てて駆け寄る。
「ヒムカ? ヒムカ! ヒムカ!」
 その水槽の中にいたのは、ナマズと年頃の娘だった。水槽の中で赤い癖毛を海草のように揺らめかせ、膝を抱えた格好のまま静かに目を伏せている。
「ヤマジ?」
 ナマズの訝しむ声も今のヤマジの耳には入らない。ヤマジは水槽を激しく拳で叩き、何度も中の少女の名を呼んだ。だが、少女は人形のように固く目を閉じたまま、ヤマジの呼びかけに答えることはない。
「……この娘は……」ナマズが目を瞬かせる。
「アタシの妹だ」ヤマジは答えた。「どうしてこんな……ヒムカ……ヒムカ、こっちをお向きよ」
 そして水槽の壁面に爪を立て、ずるずると力なく崩れ落ちる。
 本当はこうなる前に迎えに来るはずだった。それなのに、いつまでもあの男の命じるがままに翻弄され、こうして対面することすらままならなかった。
 と、実験室に固い靴音が響いた。
「心配をせずともヒムカは眠っておるだけだ。能源に繋ぎ、傷ついた体を癒している」
「……鳳徳」
 ヤマジはギリ、と奥歯を噛み、背後から近づく男の姿を睨みつけた。
「どういうことだい。話が違うじゃないか!」
 男は答えない。ヤマジの罵声など聞こえてもいないのか、変わらぬ歩調でヒムカの水槽の前のでやってくる。闇色の軍服が実験室の人口的な明かりに照らされ、男の影を異様なほどに長く床に伸ばしていた。
「布都御魂を持ってくれぱヒムカを解放すると約束したはずだ! それなのに、これは一体……」
 ヤマジは叫び、男に掴みかかろうとした。だが、その細い手首はあっさりと男に捕らえられてしまう。すぐに後ろ手に捻り上げられた。
「ぐっ……」
「口の利き方に気をつけることだな、風神・ヤマジよ。貴様らバイオマスは、私の言うことに黙って従っておれば良いのだ」
「ヤマジ!」
 ナマズが声を張り上げる。
「く、宮内卿どの! なぜ、なぜそなたが……どうかヤマジをお放しくだされ。ヤマジは何も悪いことはしておりませぬ」
「フッ……騙されていたとも知らず、無垢なことよ」
「な、何を言っておるのじゃ……そなた……」
「私のことはお気になさらずとも結構」
 鳳徳はヤマジを床に突き飛ばすと、一変、恭しい動作でナマズの足元に跪拝した。
「さて、ナマズ姫。姫を呼んだのは他でもない。私と一緒に来てもらおうか」
 しかし、命じる言葉は同意を促すものではない。鳳徳はナマズの返事を待たず、無表情でナマズの二の腕を持ち上げた。
「お待ち、鳳徳!」
 ヤマジは床に膝立ちになり、鳳徳に外された肩を治しながら言った。
「照葉を止めるために、龍神の要石が必要だったはずだ。要石はその瓢箪の中にある。その子自身は関係ないだろう」
「フッ、何を言っておる。この娘は『ナマズ』だ。それぐらい貴様も気づいているはずだ」
 鳳徳は冷たい視線でヤマジを睥睨した。
「確かに照葉を再び黄泉へと送り返すためには龍神の要石が必要だ。だが、それ以上にこの娘には利用価値がある」
「お待ちって言ってるだろう!」
 ヤマジは右手を元に戻すやいなや、風の手刀を斬った。鳳徳に向かい真っ直ぐに鋭利なカマイタチが飛んで行く。その切先を避けることなく、鳳徳は甘んじて受けた。
「浅はかなことだ。そうしてすぐに『力』に頼り、自らを破滅への道へ追い込む」
 そして、頬から伝う僅かばかりの血を拭いながら、口の中で呪文を唱える。途端に、背後の水槽の中で水が暴れ始めた。ガラスの表面に亀裂が走り、一瞬にして天井まで火柱が立ち昇った。ヤマジの正面に形を成さぬ炎蛇が襲い来る。
「ヒムカ!?」
 ヤマジは顔の前で腕を交差し、咄嗟に旋風を巻き起こすことでその攻撃をかわした。水槽から飛び上がった火の塊は物凄いスピードで実験室の空中を縦横無尽に駆ける。
 鳳徳はその様子を表情一つ変えず黙って見つめていた。恐らくわざと頬に傷を受けたのはこのため――
「ヒムカ! アタシだよ。分からないのかい? ヤマジだ。アンタの」
 ヤマジが必死に声を絞るも、
「堪忍なぁ。綺麗なお姉さん。ウチかて、殺したくはないんやけど」
 天井から聞こえてきたのは、どこか虚ろな少女の低い声だった。
「ウチは狗やから、どないしても鳳徳の邪魔をしはる言うなら、お姉さんを止めなくてはいかんのや」
「ヒムカ!」
 全身を炎に包み燃え盛るヒムカの指先から再び炎が放たれる。ヤマジの周囲を囲うように床に火がついた。ヒムカの瞳はたしかにヤマジに向けられていたが、そこにかつての妹の意思は見られない。
「鳳徳……アンタ、ヒムカに何をした」
 ヤマジは呻くように詰問した。
「何をした、とは人聞きの悪い。私は何もしておらん。ヒムカは自らの意思で戦っている。それだけだ」
 鳳徳は言うと、強くナマズの腕を引き寄せ、その体をマントの中に包みこんだ。
「あとは任せたぞ、ヒムカ」
 そしてヒムカを一瞥し、祭壇の隣の操作盤へと手を伸ばす。鳳徳が素早くキーを叩くと、床に描かれた円陣が青く発光を始めた。
「この娘さえいれば『龍神』など不要! ハハハハハハ!」
「嫌じゃ離せ!」
 そして、そのまま鳳徳は腕にしっかりとナマズを抱いたまま、円陣の中へと吸い込まれていった。床に描かれた円陣の文言は空間移動の呪式。ヤマジは慌てて鳳徳を追った。だが、踏み出した足の一歩先に炎塊が降ってきて、それ以上動くことが適わなかった。
 そうこうしているうちに、円陣の青い光は次第に失われてゆく。
「そこをお退き、ヒムカ」
「……敵や」
 低い声で凄むヤマジをものともせず、天井の梁に逆さまになったヒムカは両腕を大きく円の形に開いてゆく。
「鳳徳の邪魔をする奴はみぃんな敵や……」
 そして、今再びの砂塵爆発。実験室中の可燃素子を巧みに操り、ヒムカが一斉に引火したのだ。
「くっ……なんて力だい。ヒムカ、アンタ……」
 咄嗟に風楯で身を守るも、炎の威力に圧されじりじりと楯が綻んでゆく。かと言ってヒムカ相手に全力で戦うわけにもいかない。
 ヤマジが苦しげに眉を寄せた、そのとき――
「ヤマジ!」
 鉄塔の窓を割り、中に飛び込んできたのは一つの影。ヤマジは信じられない気持ちでその姿を見つめた。闇になびく黄色の髪。軽やかな少年の体躯。
「ジン……」
 ヤマジは乾いた唇でその名を呼んだ。ジンには悟られぬよう何も言わずにナマズを能源塔へ連れてきたのだ。なぜ追ってくることができたのか。
「ナマズは? ナマズはどこへ行った」
 ジンは息を切らして周囲を見渡した。ヤマジは返事に窮した。
「それは……」
「とりあえず事情は後で聞く! それより、あれは……まさかヒムカか?」
 ジンの目が忙しなくヤマジとヒムカの間を交互に見遣る。
「アンタ、ヒムカを知っているのかい?」
 ヤマジは驚きを隠せなかった。
「ああ、知ってる」ジンは頷いた。「一度会ったことがあるからな。だが、そのときはあんな目はしていなかった。一体どうなっている?」
 ジンの鋭い目配せにヤマジは唾を飲み、腕の中に新たな炎を育て始めたヒムカの様子を窺った。虚ろな赤い瞳は決してヤマジを見ない。
「恐らく能源だ」
 ヤマジはそれを言うべきかしばし迷ったあと、そう断言した。
「アタシらバイオマスは能源に繋がれると『力』の制御と回復を行えるようになるけど、同時に寿命と正気を削られていく。いわゆる能源酔いの状態だ」
「能源酔い? よく分からねぇけど、今のヒムカがそうだって言うのか?」
「多分ね。アタシは昔、能源酔いになって死んでいった仲間を何人も見ている。照葉もその一人だ」
「照葉……あの龍の化け物か」
 低く呻くジンの足元を、ヒムカの炎が襲う。ジンはヤマジの肩を担ぎ、その場から飛び退いた。二人が立っていた床が瞬く間に焔泥へと変わる。
「どうしたらいい」
 ジンは舌打ちをしながら言った。
「どうしたらいい、ヤマジ。どうしたらヒムカを正気に戻せる?」
「……手遅れでなければいいんだけどね」
 立ち込める黒煙の中で激しく咳き込む。どれだけ風の楯を張っても、とっくに本来の姿を捨て長い時間を人間として生きてきたヤマジにとって、この業火の中でいつまでもジンと自分の二人分の空間を維持し続けるのは難しい。
「能源酔いを解くには体に取り込んだ電解液を吐かせる。それしかない」
「ああ、そうかよ!」
 それを聞くとジンは決意するように顎先を高くヒムカに向けた。
「つまり、少し痛い目見せなきゃ正気に戻らねぇってことだな」
 そして、聞こえたのはビキビキと骨が軋む音。続いて激しい叫び声とともに、ジンの体表から現れた黒い毛がみるみるうちにジンの体を包んでいく。――現れたのは、黒い異形の獣だった。
「ジン……アンタ」
 ヤマジは目を見開いた。自分を庇うように目の前に立ちはだかる黒い獣。猿の顔に狸の胴体。鋭く尖った虎の四肢で床を踏みしめ、蛇に似た黒く長い尾を鞭のようにしならせる。
 それはかつてヤマジが一度だけ見た――河原でジンを拾ったときの彼の姿だった。
「鵺……」
 ヤマジは弾かれたようにその獣の名を呼んだ。
「何考えてるんだい、ジン! アンタ、要石もなしに完全変化するなんて死にたいのかい!?」
 そして、声を裏返しジンの肩を揺する。触れた肌は黒々とした体毛に包まれ、ドクドクと中で熱く脈打っている。
 ジンは玻璃色に光る双眸を細め、ヤマジをゆっくりと振り返った。しかし噛み締めた口元はすでに鋭い牙を零し、低い唸り声を上げている。
「たしかたっぷり働いた後のメシはうまいんだったよな」
 ジンはゆっくりと述懐するように言った。
「とりあえず握り飯十個、雑穀の混じっていない白米に中身は漬け昆布で勘弁してやる」
「何、言って……」
「ただ、もしオレが我を忘れたらそのときは迷わずお前が処分してくれ。いいな、ヤマジ」
 そう言ったジンの口元は僅かに笑っているようにも見えた。どうしてあんなに嫌がっていた鵺の姿になってなお、ジンは微笑むことができるのか。
 ――いつの間にか、手元で育てた少年は自分の知らぬ大人の表情を見せるようになっている。
「何格好つけてんだよ、この無鉄砲の風来人が」
 ヤマジが思わず噴き出すと、
「悪ィ、一度言ってみたかっただけだ」といつもの調子でジン。
「ふん、そんな言葉じゃ縁師としてはまだまだだね。瓢屋に帰ったらもっと女をときめかせる台詞を学びな」
「ああ」
 そうだな、と言って、ジンは低く床に体を伏せる。そして頭上で炎蛇と戯れる焔神に向かい真っ直ぐに飛び掛っていた。
「目を覚ませ! ヒムカ!」
 ジンの長い鉤爪が一閃。辺りに立ち並ぶ水槽の壁面が切り裂かれ、一斉に水が能源塔の中に滝のように噴出した。



 ――ポタ、と頬に垂れる冷たい雫の感触に、ナマズは目を覚ました。
 ぼんやりと燭台の灯りに照らされた天井は剥き出しの岩肌。乳白色の鍾乳石を幾つも湛える洞窟の、ひんやりとした石台の上にナマズは寝かされていた。
「どこじゃ、ここは……」
 ナマズは呻き、重い瞼を擦ろうと右腕に力を込めた。が、右手が動かない。見ると、手首が黒い鉄輪で固定されていた。右手ばかりではない。両手足を大の字に広げられたまま、冷たい石の上に磔けられている。
「なっ、何じゃこれっ!」
 思わず悲鳴を上げかけたときだった。
「気がついたか」
 眠気も覚めるような冷たい声が頭上から浴びせられる。
「宮、内卿どの……」
 ナマズは傍らに佇む薄鼠色の髪の男を怯える視線で見上げた。蝋燭の赤い火が褐色の肌をゆらゆらと揺らし、その周囲にはナマズの寝る祭壇と男を囲うように太い注連縄が円を描いて張られていた。
「何を……何を考えておるのじゃ、宮内卿どの。わらわをかようなところへ連れ込んで……ここは一体……」
「……分からぬのか」
 宮内卿――皆川鳳徳は、長い前髪を鬱陶しげに掻き上げおもむろにナマズの額に触れた。
「覚えておらずともその肌でもう十分に感じ取っているはずだ。ナマズ姫――いや、青龍の巫女、と呼んだほうが良いか」
 冷たい手がナマズの額を撫でさする。ただ触れられているだけなのに、鳳徳から向けられる無言の悪意にぞわぞわと背筋が粟立った。
「ここは雷神の谷。かつて我らが日渡の始祖が雷神より宣託を受けし開闢の地。そして、龍神をはじめ雷神が八百万の神々を束ねその忠誠を誓わせた聖なる洞穴」
「雷、神の谷……」
「そう、要石を持って己の力を操りし神々は、本来、雷神の支配下においてのみ本当の『力』を揮うことができるもの……。そうして古来より雷神と契約せし正統なる日渡の国主が神を使役し、その力を国の繁栄へと活かしてきた」
「……能源」
 その響きにナマズの脳裏に先程ヤマジに連れられ初めて見た実験塔の記憶がフラッシュバックした。
「それが、能源システムだということか? あのように、ヒムカやヤマジのような化け物憑きに無体を強いて、無理矢理に神の力を吸い上げることが能源の仕組みだったということか?」
 唇を震わせ問いかけると、鳳徳は首を振った。
「いや、正確には違う。能源は、神の力を封じ込めるためにやむなく生み出されたまやかしの機械。そこから得られるエネルギーはいわば副産物のようなもの」
 そして、真っ直ぐにナマズを見据え言う。
「何故だか分かるか」
 ナマズは答えなかった。否、答えられなかった。
 鹿島の城に能源は一つもなかった。父の震斎がその機能を嫌ったためだ。だが今ならば分かる。三百年の長きに渡り民の生活を支えてきた能源は――呪われた力の産物だったのだ。
「……簡単なことだ。日渡は雷神を失ったからだ」
 鳳徳は誰に聞かせるでもなく静かに述懐した。
「平安な世が永く続くにつれ、日渡の国主は次第に雷神との契約の儀――『雷神祭』を軽んじるようになっていった。儀式は簡略化され、命の危険を伴う雷神下ろしの儀は帝の代わりに将軍家が代々執り行うのが慣例となった。無論、正統後継者ではない彼らに雷神たる資格はない。そうして純然たる雷神が宿ることがなくなり三百年が過ぎ――ついに雷神が谷からその姿を消した。私達が幼い恙雅様を連れ、雷神下ろしの儀を執り行ったちょうどその日だ。何を誤ったのか雷神の半分は震斎に宿り、残りの御神体は守護獣とともに姿を消した」
 その口から語られる言葉は、どこか他人事のように淡々と洞窟の中に響き渡る。
「恙雅様が足を悪くされたのもその時だ。私は幾度も雷神の谷を詣で雷神の降臨を願ったよ。だが失われた雷神が戻ることはない。そして気が付いたのだ」
 鳳徳の指先がナマズの首筋に下りてくる。冷たい感触にナマズは身を捩じらせた。だが、鳳徳の手から逃れることはできない。
「雷神を目覚めさせるためには、当代の龍神の血がいる。恙雅様とともに古文書を紐解き、私は愕然とした。十五年前の革命の混乱に乗じ、龍神は死んでいたからだ。だから私は陛下にお願いし、禁術を用い照葉を冥府より呼び起こした」
「照葉――」
「そなたの母の名前だ、ナマズ姫」
 突きつけられたその言葉に、ナマズは目を見開いた。そんな、まさか。ナマズは混乱した。今まで幾度問うても震斎は固く口を閉ざし決して教えてくれなかった。優しい父をいつも不機嫌にさせるその言葉。
「は、はうえ……あの、龍……が、わらわの……」
「だが、何も死んだ龍神など冥府から呼び起こさなくともよかったのだ」
 鳳徳はマントを翻し、石段に乗るとナマズの体を上から大きく跨いだ。
「ここに、我らが国母がいる」
 正面からかち合った鳳徳の瞳が片眼鏡の奥で妖しく光る。
「まだ幼く、己の力に目覚めてもいないようだが……」
「な、何がじゃ」
「無知なことだ。震斎は何も教えていなかったと見えるな」
 体を強張らせるナマズを眼下に、鳳徳は嘲笑を浮かべた。そして熱っぽい声で再度ナマズの頬に触れ、言う。
「ナマズは長ずれば龍へと転じる」
「龍……」
 ナマズは唾を飲み、震える声で問い返す。
「わらわが龍になると申すのか?」
「ああ、そうだ。そなたは紛れもない照葉の娘――『ナマズ』であるからな」
 鳳徳はそこで息をつき、目を伏せた。
「いずれは恙雅様と娶わせ、堅固たる皇室を築く礎となってもらうつもりであったが、もはやそのようなゆとりはない」
 再び開かれた鳳徳の目は、今までの冷酷さすら感じさせる静かなものではなかった。開かれた瞳孔に浮かぶ白い文字。
「陛下の御手を煩わせるまでもない。私が代わりにすぐに大人にしてやろう」
 鳳徳の顔がぐっと近づいてくる。
「恨みたければ恨むが良い。まだ幼きナマズ姫よ」
「ひっ……」
「新たな龍神として覚醒し――永久に日渡を守護するバイオマスとなれ」
 耳朶に直接吹き込まれる低い声。おなざりに胸をまさぐられ、男の唇が寄せられてくる。ナマズの背にぞっと鳥肌が立った。
「いっ、嫌じゃ。やめよ! 違う……」
「違う? 何が違うのだ」
 逃げるナマズの顎を片手で掴み、わななく唇を塞ごうと鳳徳は再び圧し掛かってくる。
「違う! そなたではない!」
 ナマズは叫んだ。今まで感じたこともない恐怖と屈辱に目尻に溢れた涙が頬を伝っていく。
「わらわを……」
 ナマズの呻きに合わせ、細かく震え始めた天井から砂塵が降ってくる。
「わらわを従えて良いのはこの世でただ一人、雷神様だけじゃ!」
 声を涸らし絶叫する。ドン、と激しい揺れが洞窟を襲い、ナマズの泣き声に呼応し土塊が隆起する。小さな体から発せられる波動は地の果てまでも揺らし、みるみるうちに辺りを一面の砂塵の嵐へと変えていった。