棒人間は愛を乞う

5.

 十二月も暮れに迫り、忙しい日々を送っていると、当然のように槌木から「クリスマスの予定は空いていますか?」と訊かれた。重ねて「何か欲しいものはありますか?」とも問われた。槌木は自分にプレゼントを用意してくれるつもりらしい。河辺は焦った。自分も何か贈ったほうがいいのだろうか。槌木にはこの間看病をしてもらった恩がある。
 河辺は仕事帰りに何度かデパートをうろついた。けれど、何を贈れば喜んでもらえるのかわからなかった。あんなに頻繁に体は重ねているのに、自分は槌木の好みを何一つ知らない。そのことに気づき、愕然となった。
 そうこうしているうちに、クリスマスがやってきてしまった。二十四日のイブは金曜日で、槌木とは会社帰りに待ち合わせることになっていた。けれど、当日の朝になっても河辺はまだプレゼントを用意できていなかった。
 困り果てていたとき、河辺はリビングに放置してあった小さな箱を見つけた。千恵との結婚記念日の祝いにと買っておいた木箸だった。結婚五年目の「木婚式(もっこんしき)」には木にちなんだ贈り物をするのが通例なのだと母から聞かされていたため、河辺は自分の名前と千恵のイニシャルをとって「M to C」と彫った夫婦箸を用意しておいたのだ。
 だが、結婚記念日の十月十日はとうに過ぎ、千恵との関係は依然冷え切ったままだ。どうせ受け取ってくれる相手がいないなら、無駄になるのももったいないような気がして、河辺は箱の一つを手に取り鞄に詰めた。
 仕事を終えると、六本木へ向かった。高層ビルの合間の広場に築かれた大きなホワイトツリーの前で槌木と待ち合わせた。幻想的なイルミネーションでライトアップされたツリーの周囲は若いカップル連ればかりで、男二人で来ている自分達がとても場違いなような気がした。槌木は「気にすることないですよ」と言ってくれたが、河辺は恥ずかしくてたまらなかった。「早く移動しよう」と言いかけたところで、何か暖かいものがふわりと首に巻かれた。乳白色のマフラーだった。
「やっぱり淡い色が似合いますね。寒い日はちゃんとこれを巻いて、もう風邪引いちゃ駄目ですよ」
 槌木は河辺の首にマフラーを巻くと満足そうに微笑んだ。どうやらそれが槌木からのクリスマスプレゼントのようだった。河辺は慌てて鞄を開けた。用意してきた小さな箱を槌木に差し出す。
「これを俺に、ですか?」
「この間、お世話になったから」
 槌木は目を丸くしていた。まさか自分にもプレゼントがあるとは思っていなかったようだった。
 槌木は恐る恐る箱を受け取ると、「開けてもいいですか?」と訊いてきた。河辺は頷いた。槌木が包装を解いていく。少し緊張したが、イニシャルの彫り物はあるものの一見すれば普通の箸と変わらないはずだ。
 案の定、気づかなかったようで、槌木は出てきた箸を見て、感激したように口許を手で押さえた。「ありがとうございます」と震える声で言われた。罪悪感に少し胸が痛んだ。
「そんなもので嬉しいのか?」
「当たり前じゃないですか。河辺さんが俺にものをくれるなんて……。どんなもので嬉しいです。ありがとうございます。一生大事にします」
 槌木は箸を握り締めて何度も河辺に頭を下げた。こんなことなら、もっとちゃんとしたものを買ってきてやればよかった。河辺は後悔した。「河辺さん」と名前を呼ばれ、後ろからそっと体を抱き寄せられる。 少し慌てたが、周囲のカップルはツリーに夢中で、自分達のことなど気にかけている様子はなかった。ほっとして、河辺は小さくため息をついた。
「君は物好きな人間だね。私みたいにつまらない男を好きだなんて言って」
「つまらなくなんかないです。俺は河辺さんと一緒にいられる、それだけで幸せなんですから」
 耳元に甘い台詞を囁かれる。いつものことなのに、今日はなんだか胸がざわついた。クリスマスの夜に、二人で綺麗なツリーを見ているからかもしれない。雰囲気に毒され、まるで自分達が恋人同士のように錯覚した。
「真澄さん」
 と、人ごみの中から名前を呼ばれた。
 河辺は振り返り、目を瞠った。そこには白いコートを着て、小さな女の子の手を引く母の姿があった。
「母さん……」
「偶然ね。こんなところで会うなんて」
「今、仕事の帰りで……」
 河辺はちらりと槌木を振り返り、苦し紛れに言い訳をした。 クリスマスは千恵と過ごしているものと信じ込んでる母に、槌木と一緒にいる理由をうまく説明できる自信がなかったからだ。
「梨佳(りか)ちゃんが、どうしてもツリーが見たいと言うから連れてきたの。由(ゆ)利子(りこ)さんはまだ仕事だから」
 母はそう言うと、手を繋ぐ女の子に顔を向けた。母の再婚相手の連れ子である妹の由利子は、四年前に結婚したあと、両親と同居している。今、母の隣にいるのは今年三歳になる姪の梨佳だった。
「梨佳ちゃん。おじさんよ。ご挨拶なさい」
 母に促され、梨佳は真っ黒な大きな瞳でじっと河辺を見あげてきた。
「おじさんのおともだち?」
「あ、ああ。おじさんと同じ会社の槌木さんというんだ」
 河辺は膝を折り、梨佳の頭を撫でた。梨佳と会うのは正月以来だったが、白いファーのついた真っ赤なコートを着た姿は、丸い顔によく似合っていて可愛らしかった。
 私の母と姪だ、と紹介すると、槌木は「どうも」と頭を下げた。
「初めまして。真澄がいつもお世話になっております」
 母は上品に微笑んでいた。外面がいいのは昔から相変わらずだ。
「お仕事もいいけれどね。真澄さん」
 そしてまた愚痴が始まった。
「由利子さんにはもうこんなに大きな女の子がいるのよ? それなのにあなたときたら、いつまでも仕事にかまけて、千恵さんに寂しい思いをさせて」
 河辺は俯いた。唇を噛みしめる。
「早く私に本当の孫の顔を見せてちょうだいね」
 母はそう言って、槌木に頭を下げると、梨佳の手を引いて去っていった。
 梨佳がそこにいるにも関わらず、平気でそんなことを言える母が薄ら怖くなった。
 梨佳は義父の連れ子である由利子の娘だ。母とは血が繋がっていない。 それでも、同居をするようになってから、母は梨佳をとても可愛がっているように見えたのに。
 ……あの人は変わっていない。昔と何も変わっていないのだ。
 母の背を見送ると、急に体がぐったりと重くなって、河辺はその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか? 河辺さん」
 槌木が慌てたように顔を覗きこんでくる。
「なんだかとても具合が悪そうな顔をしている」
 肩を抱かれ、近くのベンチへと連れて行かれる。頭がぐらぐらした。息があがって過呼吸気味になっているようだ。
「すまない。少し……気分が悪くなって」
 河辺は口許を押さえうなだれた。事情を説明しようとするも、冷たい風に肺が痛んで、ひゅうと嫌な音しか出ない。
「昔からその……母が、少し苦手で……」
「いいんですよ。言わなくて」
 ようやく搾り出した言葉は最後まで言うことなく止められた。ベンチの隣に腰かけた槌木の胸元に頭を引き寄せられる。
「辛いことは言わなくて、いいです」
 慰めるように頭にぽんと手を置かれた。優しい手つきで数回頭を軽く叩かれる。端から見たら介抱されているように見えただろう。目尻にじわっと涙が浮くと、通行人の目から隠すように、槌木がコートを脱いで河辺の頭に被せてくれた。
「初めて会ったときも、あなたの後ろ姿がどこか危うく見えて心配になったんです。あなたは平気なふりをしているけど、仕事のミスも他人のわがままも何もかも全部自分一人でしょいこんで、いつも無理ばかりしているような気がして。そんなあなたを誰が抱きしめてあげてるんだろうって思ったら気になって……放っておけなくなって、気がついたらあなたのことを好きになっていました」
 コート越しに自分の頭を撫でる槌木の手が気持ちいい。温かくて、優しくて、胸が詰まった。
「俺じゃ駄目ですか?」
 切ない声が夜空に溶けて消えていく。広場からわっと声があがった。ツリーのライトが消されたようだ。視界がさらに真っ暗になったことに気が弛んで、涙がこぼれた。
「子どもを作ることはできませんけど、俺ならもっとあなたを大切にしてあげられる。奥さんよりも、お母さんよりも。あなたを一番に考えて、誰よりも幸せにしてあげられる。それでもやっぱり……俺じゃ駄目ですか?」
 自分の頭に触れる指先は細かく震えている。槌木の心が痛いほどに伝わってきて、胸が苦しかった。
「槌木……」
 小さな声で名前を呼ぶも、聞こえなかったのか、槌木はぽつりと呟いた。
「河辺さんの心が欲しいな」
 きつく抱き寄せられる。槌木のにおいがした。
「俺のことを好きになってなんて贅沢なことは言うつもりはありません。でも……夜だけじゃなくて、いつでもこうしてあなたを甘やかす特権を、俺にくれませんか?」
 槌木の言葉は悪い麻薬のようだ。だめだと思っているのに、もっと欲しくなる。もっと聞いていたくなる。
「あなたが呼んでくれれば、俺はいつでもあなたのそばに飛んでいきますよ。嘘じゃない。だから、嫌なら今すぐ俺の腕を振りほどいて……」
 鼻先をこすりつけられる。甘えるようにしなだれかかる男を、河辺はどうしても振り払うことができなかった。



 年が明けて、最初の日曜日。
 河辺は朝から台所に立ち、肉じゃがを作った。槌木がいつだったか、それを食べたいと言っていたのを思い出したからだ。
 クリスマスプレゼントの埋め合わせをするのに、ほかにちょうどいいものが思いつかなかった。男の手料理なんて、と思わないでもなかったが、槌木なら自分が持っていけば何でも喜んでくれるような気がしていた。
 煮込みすぎて少し形の崩れた肉じゃがをタッパーに詰めて、河辺は槌木のアパートへ向かった。特に約束はしていなかったが、留守なら留守でドアノブに引っ掛けて帰ろうと思っていた。こんな差し入れを持って、休日に槌木と顔を合わせるのが気恥ずかしかったのもあるかもしれない。
 鉄骨が剥き出しになったアパートの階段をなかほどまでのぼると、ちょうど槌木の部屋の扉が開くのが見えた。
「じゃあ、槌木くん。また来週の土曜日にね」
 槌木に見送られ、部屋から出てきたのは高いヒールを履いた若い女性だった。長い茶髪をふんわりとしたカールで巻いた、どこかで見たことがあるような顔だった。私服のせいで一瞬誰かわからなかったが、ほどなくして総務に寄った際にいつも応対をしてくれる山根(やまね)という名前の女性だと河辺は気がついた。
 彼女は肩かけの大きなバッグを持っていた。まるで泊まりの帰りのようだった。
「あら」
 彼女の視線が河辺にとまる。彼女も河辺に見覚えがあったようだ。
「河辺さん?」
 槌木が彼女の肩越しに顔を覗かせ、驚いたように口を開く。槌木の手には彼女から受け取ったと思しきスーパーのビニール袋が提げられていた。途端にカッと頭に血がのぼり、河辺は踵を返した。階段を駆け下りる。
「河辺さん? 待って、待って」
 槌木が慌てたように追ってくる声が聞こえた。河辺は全力で元来た道を駆け戻った。
 どうして休日に槌木の家に彼女が? また来週に、と言って二人は親しげに笑い合っていた。彼女は槌木の……恋人なのだろうか。いつから? あれだけ熱っぽい声で自分を好きだと言っていたくせに、その裏で槌木は彼女と付き合っていたのだろうか。
 突然の事態に混乱して、頭の中がぐるぐると渦巻く。息苦しい胸を押さえてどうにか自宅まで帰ると、河辺は肉じゃがの入った紙袋をテーブルの上に投げ捨てた。
 こんなものを持って、槌木の気を引こうだなんて一瞬でも思った自分が馬鹿だった。槌木が喜んでくれると思って、普段は見もしない料理本まで引っ張り出してレシピを調べたのに。自分の手料理なんか欲しがらなくても、槌木にはちゃんと食事を作ってくれる相手がいるじゃないか。
 と、インターホンが鳴った。無視をするも、呼び鈴はけたたましく鳴り続ける。
「開けてください」
 扉を叩く音。切羽詰った槌木の声がした。自分を追って家までやってきたようだ。
「開けてくれるまで帰りません」
 それからしばらく、槌木は本当に帰らなかった。しつこく扉を叩き続ける音に根負けして、河辺は玄関を開けた。息を切らした槌木と正面から向かい合う。
「どうしてさっき俺の家に来てくれたんですか? 何か用があったのなら……」
「用というほどじゃない。ちょっと渡したいものがあっただけで」
「渡したいもの?」
 槌木が首を傾げる。河辺は気まずい気持ちを押し隠し、槌木を家にあげた。居間へと連れていく。ダイニングテーブルの上に放り投げた紙袋の中から肉じゃがを詰めたタッパーを取り出し、河辺は無言で槌木に押し付けた。
「これを俺に?」
 頷く。少し嬉しそうな顔が憎たらしかった。
「いつか食べたいって言っていただろう。だから」
「河辺さんが作ってくれたんですか?」
「……昨日の余り物だ」
 槌木のためにわざわざ今朝作ったのだと言うのが悔しくて、河辺は嘘をついた。
「食べます」
「もう冷めているよ」
「構いません」
 槌木はきっぱりと首を横に振った。椅子を引いて、テーブルの前に座る。どうしても今食べるのだと意固地になる槌木を見て、河辺はかすかな優越感に浸った。
 ――やっぱりこの男は自分を愛している。
 普段と変わらぬ槌木の態度に少しほっとした。けれど、さっき見た彼女のことが胸にわだかまって、河辺はなかなか素直になれなかった。
「箸、お借りしてもいいですか?」
「ああ」
 槌木が箸立てに手を伸ばす。と、その中の一膳を引き抜かれ、河辺は慌てて槌木の手を止めた。
「……っ、駄目だ、それは」
「あれ? これ、俺にくれたやつとお揃いじゃないですか」
 槌木は手に持った木箸をしげしげと眺めた。それは槌木にクリスマスプレゼントとして贈った、夫婦箸の片割れだった。
「これ……」
 槌木もどうやらそれに気づいたのか、怪訝に眉を寄せた。
「どういうことですか。これ」
 鋭い声で詰問される。頭の中が真っ白になった。
「俺のやつには『M to C』。色違いのこの箸には『C to M』……このCは千恵さんのことだったんですね。真澄さん」
 イニシャルを強調するようにわざと下の名前で呼ばれる。槌木はすべてを悟ったようだった。喉が渇いて仕方ない。河辺は乾いた唾をどうにか飲み込んだ。
「クリスマスに俺にくれたプレゼント。本当は奥さんのために用意していたものだったんですね。それなのに、あんなに喜んで……馬鹿みたいだ俺」
 槌木は箸を床に投げ捨てた。やるせない表情で、前髪をくしゃりと掻きあげる。
「……槌木」
 なんと声をかけていいのかわからず、河辺は拳を握った。今さら遅いとはわかっていても、槌木に謝りたかった。けれど、どんな理由を並べても、千恵に用意していた夫婦箸を槌木に贈った事実は変わらない。
 槌木は視線を手元に落とすと、冷たい声で言った。
「この肉じゃがもまさか、本当は奥さんが作ったものなんじゃないでしょうね」
「違うっ、これは本当に私が」
 河辺は必死に否定した。
「どうだか」
 だが、槌木は鼻で笑うだけだった。河辺の言うことなど、最初から信じていないとでも言いたげな表情だった。
「あなたは嘘つきだ。そのことをすっかり忘れてました。そうやってまた騙して……俺を裏切るんですね」
「裏切るだなんて……私はそんなつもりじゃ……」
「あなたが今日、家に来てくれたとき、俺のことを少しでも好きになってくれたのかと思って期待しました。何の約束もなしに現れて、俺のために料理を作ってきてくれたなんて聞かされたら、期待するなというほうが無理でしょう。それなのに、あなたはまた偽物のプレゼントなんか用意して……ひどいじゃないですか。そんなに俺の心を弄んで楽しいですか?」
 夫婦箸の件の非は認める。けれど、肉じゃがを作ったのは自分だと言っているのに、どうして槌木は信じてくれないのか。悔しくて、やるせなくて、頭にカッと血がのぼった。
「君が欲しいって言ったんだろう! だから、それを持っていっただけだ。それなのに、中身がどうかなんて、そこまで私が責められるいわれはない!」
「そんなこと知ってますよ。でも俺には嫉妬する権利もないんですか。あなたは平気でも俺はあなたの何気ない一言で心が千々になってしまうのに」
 バン、と机を叩かれる。大きな音に一瞬肩を竦めるも、河辺は負けじと槌木を見あげた。
「そ、そんなこと言ったら君だって」
 心の中に積もっていた恨みを、槌木にまっすぐぶつける。
「山根さんに差し入れを貰って喜んでいたじゃないかっ。ど、どうして休日に、君の家に山根さんが」
「へぇ。妬いてくれるんですか?」
 槌木は口元を歪めて笑った。
「山根さんは、ガスコンロを届けにきてくれただけですよ。来週、同期でうちに集まって鍋をしようって話をしていて。うちには土鍋はあるけどガスコンロはないので、山根さんが貸してくれることになっていたんです。まぁ、それを口実に休日にわざわざ持ってくるあたり、彼女、俺に気はあるみたいですけどね。妬いてくれたんですか?」
「そんなわけないだろう!」
 河辺は激昂した。
「私は君とたしかに寝ているが、付き合っているつもりなんかさらさらないんだからな。君のプライベートにまで干渉するつもりはない」
「でも、嫉妬したんでしょう。あなた今、自分がどんな顔してるかわかってますか? 俺のことが好きで好きで、今にも泣き出しそうな顔してる」
「ふざけるな!」
 許せなかった。自分を小馬鹿にしたような態度をとる男が腹立たしかった。
「誰が君みたいな男を好きになるものか! 自惚れるのも大概にしろ!」
 こんな大きな声で怒鳴ったのは何年ぶりだろうと思った。もしかしたら生まれて初めてかもしれない。自分の声が頭の中で反響して、がんがんと痛んだ。
「別に君でなくてもよかったんだ。私には妻がいる。だから君の恋人にはなれない。最初にそう言ったはずだ。それなのに君が何度もしつこく迫ってきて……」
 河辺は冷ややかな目で槌木を睨みあげた。
「君は棒でいいと言った。それなのに私にそれ以上の関係を望むのは筋違いなんじゃないのか?」
 まずい。これ以上は駄目だ。
 思っているのに、口が勝手に動く。相手を傷つける言葉が止まらない。理性が働かない。
「ただの棒のくせに、恋人気取りも大概にしてくれ。吐き気がするよ。私は棒なら君でなくても、別に誰でもよかった。それなのに嫉妬だとか愛情だとか、そんなものを私に求められても迷惑なだけだ。出ていってくれ。今すぐ」
 フン、と鼻を鳴らす。槌木の顔は真っ白だった。出て行けと言っているのに、人形のように固まってその場から動かない。
「君みたいなホモにいつまでも見つめられていると、気分が悪くなる」
 最後に忌々しげにそう呟くと、視界の端で何か黒い影が急に動いた。
 それが自分に振りあげられた槌木の手だと気づくのに、しばらく時間がかかった。