家畜パーク
1.
目を覚ますと檻の中にいた。
頬に触れるひんやりとした感触にびっくりして、楢崎裕太(ならざきゆうた)は跳ね起きた。
コンクリート張りの壁と天井。床のタイルの上にはところどころ藁が敷き詰められていた。部屋の中は冷房が切られているのか、じんわりと蒸し暑い。どこからか饐えた臭いも漂ってくる。近くに汚物が放置されているのだろうか。視線を巡らすと、太い鉄柵越しに廊下の明かりが見えた。剥き出しになった配線に裸電球がぶら下がっている。その周りにはジジ、と音を立てて小さな蛾が群がっていた。
(……ここは一体どこだ?)
裕太は混乱した。昨夜、寝付くまではたしかに自宅のベッドの上にいたはずだ。「おやすみ」と言う母親の言葉を聞いて裕太はいつも通り眠りについた。その証拠に裕太は今も寝巻きを着ている。襟口の伸びた灰色のスウェットの上下だ。
裕太はうっすらと汗ばんだスウェットの胸元をぎゅっと掻き寄せた。薄暗い檻の中、耳をそばだて周囲の気配を探る。と、指先にチャリと何か冷たいものが当たった。視線を落とすと、自分の首から鉄柵に向かって鎖が伸びているのが見えた。はっとして首元を触る。そこには革でできた犬の首輪のようなものが巻かれていた。
「何だよこれ……」
首輪の先には鎖が繋がっている。わけがわからない。なぜこんな首輪をつけられ、知らない場所で寝かされていたのか。自分は家にいたはずじゃなかったのか。懸命に記憶を辿るも何も思い出せなかった。気持ちばかりが焦り、がちゃがちゃと鎖を揺する。親指の太さほどもある鉄鎖は裕太の力ではとても外れそうになかった。けれどこれを外さないことにはこの檻から逃げられない。自分は誰かに誘拐されてしまったのだろうか。言い知れぬ不安が脳裏をよぎった。
裕太は生まれてから今まで一度も家から外に出たことがなかった。「お外は危ないから」と言って母親が裕太の外出を許してくれなかったからだ。父親の姿は見たことがなかった。太陽に当たると皮膚が焼けただれてしまう病気なのだと聞かされていたので、外へ出るのが怖く、危険を冒してまで父親を探しにいこうとも思わなかった。学校に通えない代わりに、母親は裕太につきっきりで読み書きを教えてくれた。その甲斐あって、十五歳を過ぎてからは通信課程の高校に入学することができた。勉強は楽しかった。もっともっと勉強をして、通信制の大学を出たあとは行政書士の資格を取ろうと思っていた。家の中でもできる仕事に就いて、ここまで女手一つで自分を育ててくれた母親に早く恩を返したかった。その矢先だった。
冗談じゃないと裕太は思った。特に金持ちでもないのになぜ誘拐などされなくてはいけないのだろう。身代金だってたかが知れている。一刻も早く家に帰りたかった。こんなどこかも知らない薄汚い場所に閉じ込められているなんて耐えられない。意地になって鎖と格闘していると、廊下の向こうから誰かの靴音が近づいてくるのが聞こえた。誘拐犯が戻ってきたのだろうか。檻の前で一人の人影が立ち止まった。天井にぶらさがった裸電球の影になって、顔はよく見えない。扉の鍵を回す金属音が響く。裕太は慌ててその場から飛び退いた。壁際まで尻這いで後ずさる。
しばらくすると、視界が明るくなった。檻の中の明かりがつけられたようだ。人影が扉をくぐり中に入ってくる。
背の高い男だ。黒い眉と少し垂れがちな目。年は三十を少し過ぎた辺りだろうか。ひょろりとした体躯に少しパーマの入ったぼさぼさの髪をした男だ。
男は黒い長靴に水色の作業着を着ていた。袖口や膝下が泥で汚れている。両手にバケツを持って、裕太に気づくと顔をあげにっこりと笑った。まるで農場で働いている作業員のように、どこか朴訥とした笑みだ。その穏やかな物腰はとても誘拐犯には見えなかった。胸元の名札には『笹野(ささの)』と書いてあるのが見えた。男の名前だろうか。
「あ、あの……すみません。ちょっとお尋ねしたいんですけど」
裕太は勇気を振り絞り、口を開いた。男が誰だかはわからなかったが、檻の鍵を持っているところから見てこの場所で働いている職員なのだろう。
「お、俺、今目が覚めて……。それでちょっとわけわからなくなってるっていうか、その……ここはどこですか? 俺はなんでこんな場所に」
自分でもおかしなことを訊いているという自覚はある。男が怪訝に眉を寄せる。自分がどこにいるのかわからないなんて言って、頭のおかしな人間だと思われたかもしれない。
嫌だなぁ。軽蔑されたかなぁ。そう思って恐る恐る男を窺うと、男は途端に強張った顔をして、両手に持っていたバケツをその場に落とした。ばしゃんと水が跳ねて、床のタイルの上にバケツが転がる。
「驚いた」
降ってきたのは妙に感嘆したような声だった。
「口を利く家畜がいるんだな」
「えっ……」
思わず絶句する。
「か、ちく……?」
男の発した言葉の意味がわからず、裕太はその音を反芻した。
「な、何が?」
「君が」
「え」
「君が。家畜だろう?」
男が人差し指を立てる。その指先はまっすぐ裕太に向いていた。裕太は恐る恐る視線を首元に落とした。鎖の繋がった革の首輪。家畜? まさか。この首輪はそういった意味のものなのだろうか。眠っている間に誘拐された挙句に、自分はどこぞのSMクラブにでも売り飛ばされてしまったのだろうか。以前、そんなテレビ番組を見たことがある。縄と鞭を持ったボンテージ姿の女性が客の男性を「家畜」と呼んで踏みつけている光景だ。
(冗談きついって!)
裕太はあんぐりと口を開けることしかできなかった。呆然と男を見上げる。
「君。名前は?」
男が近寄ってくる。どこか興奮したような口ぶりだった。眠そうに細められていた目が爛々と輝いている。その迫力に押され、裕太はさらに壁側に後ずさった。
「名前は?」
重ねて問われ、裕太は息を呑んだ。特に隠す必要もないけれど、どこか男の様子がおかしいような気がして少し怖かった。
「裕太です。楢崎裕太……」
「そう。ユータ」
正直に答えると、男は再び目を細めた。人好きのする爽やかな笑みだった。近くで見ると彫りが深く、薄汚れた作業着なんか着ていなければ女の人にずいぶんとモテるだろうと思わせる顔立ちをしている。それなのに、初対面の自分相手に「君は家畜だ」なんて急に変なことを言ってきたりする。とても残念な人だ。もったいないなぁと裕太がぼんやり思っていると、おもむろに男の手が裕太の頭に伸びてきた。
「いい子。いい子」
「うわっ!」
まるで犬をあやすような手つきで頭を撫でられ、裕太は反射的にかぶりを振った。突然何をしてくるんだこの人は。
「ちょっ、やめてください。えっと……」
裕太は男の胸元に目線を落とし、「笹野さん」と名札に書かれた名前を呼んだ。
「字も読めるの!」
しかし、それは逆効果であったようだ。笹野は素っ頓狂な声で叫び、早口で捲し立てた。
「すごいね。賢いんだね、ユータは。毛並みもいいし、躾も行き届いているなんて。よほど可愛がられて育てられたのかな。うん、いいにおいがする。ブラッシングも問題なし、と。あとは変な病気を持っていないか検査を受けて、早くほかの仲間と慣れるだけだね」
笹野は嬉しそうに裕太の頭を引き寄せ、少し茶色味がかった癖のない髪を掻きまぜる。
「あ、あの……」
困惑する裕太をよそに、
「大丈夫、大丈夫。ユータはいい子そうだから、きっとほかのみんなともすぐ仲良くなれるよ」
と言って笹野はご機嫌な笑みだ。
(そういうことじゃなくて!)
裕太は心の中で叫んだ。まるで自分の言葉が通じていない。けれど笹野は冗談を言っているようには見えなかった。ちっとも悪びれた様子もなく屈託のない笑みを浮かべ、飽きもせず裕太の頭を撫でてくる。
「笹野」
と、檻の外から誰かが笹野を呼んだ。いつの間にやってきたのか、でっぷりと腹の突き出た四十がらみの男がそこに立っていた。すっかり寂しくなった頭頂部に、ぎょろりと蛙のように見開かれた丸い瞳。男は笹野と同じ水色の作業着を着ていた。
「お疲れ様です。園長」
笹野が男に向かって頭を下げる。園長と呼ばれた男はこれ見よがしにコホンと咳払いをして、檻の中に入ってきた。
「新入りの目が覚めたそうだな」
「はい」
笹野が頷く。
「ユータと言うそうです。賢くていい子ですよ」
笹野はどこか誇らしげに裕太の肩を叩いた。今紹介されたのが自分のことだとは思いたくなかった。
「なんだ、雄か」
園長は裕太を一瞥すると、フン、と鼻を鳴らした。
「これでは人寄せにもならんな。毛並みはいいようだが」
園長のあとに続いて、揃いの制服に身を包んだ男達がぞろぞろと檻の中に入ってきた。笹野も含めて六人の男に取り囲まれる。一体何が始まるのだろうか。裕太が体を縮こまらせていると、中でももっとも年配に見える白髪混じりの男が、おもむろに手元のファイルを捲った。
「楢崎裕太。十八歳。昨夜未明に獣(じゆう)人(じん)病(びよう)を発症。十五年前の小児検査の折にウイルスの保有者として登録されているにも関わらず、今まで動物園に収容されることもなく所在が不明でした」
抑揚を感じさせない口調で淡々と読みあげられる資料の内容は、言葉として裕太の耳に入ってこなかった。何を言っているのかわからない。獣人病? ウイルスの保有者? 何もかもが初耳だった。
床に膝をついたまま裕太が口を利けないでいると、園長が笹野に命じた。
「笹野。いつまで服を着せているつもりだ。脱がせろ」
「はい」
すると突然、笹野の手が裕太のスウェットの腰ゴムに伸びてきた。そのまま下着ごと引き下ろされそうになって、裕太は慌てて笹野の手首を掴んだ。
「なっ、何をするんですか!」
「何って、家畜に服はいらないだろう? さぁ、脱いで」
笹野はなおもぐいぐいとスウェットを掴んでくる。
「や、やめてください!」
引き攣った声で叫ぶと、笹野の動きに迷いが生じた。家畜家畜とさっきからこの人達は一体何を言っているのか。パニックに陥りながらも、裕太はきっぱりと声を張った。
「俺は人間です!」
服の端をぎゅっと握り締め、男達をきつく睨みつける。
「何を言っているんだ」
しかし、返ってきたのは乾いた失笑だった。
「人間の役に立つために飼われるのが家畜の役割だ。もっとも、お前の仲間は個体数が少ないから希少性を買われて愛玩用としても飼われているがな。まさかこの家畜、まだ自分が人間だと思っているのか?」
園長はそこまで言うと、初めて正面から裕太を見下ろした。感情の欠片も籠もっていない冷めた視線だった。
「まぁ今まではこいつの親が家畜法に逆らってこっそり家の中に匿っていたようだから、それも仕方のない話か。おい、鏡を持ってこい」
ため息混じりに呟かれた言葉に男達の中の一人が檻の外へ出ていき、ほどなくして掌大の大きさの手鏡を持って戻ってきた。
「おい、家畜。この鏡でよく自分の姿を見てみろ。これのどこが人間だって言うんだ」
「なに……」
嫌がる裕太の頭を押さえ込み、その場にしゃがんだ園長は無理矢理裕太に鏡の中を覗きこませる。
そこには、真っ青な唇をした自分の顔が映っていた。目ばかりがくりくりと大きくて、少しそばかすの浮いた鼻の低い貧相ないつもの自分の顔だ。けれど、眉までかかった茶色い前髪のさらに上。頭頂部から左右に拳一つ分ほどあけた場所に、昨日までは見たこともないモノがついていた。
「なに? これ……」
鏡に映った『それ』に、恐る恐る手を伸ばす。それは白い産毛で覆われていた。ぴんと高く頭の上に伸びて、ちょうどウサギの耳のようにも見えた。触れると生温かい。びっくりしてすぐに手を離した。
「可哀相に。今まで気づいていなかったのかい」
裕太が言葉を失っていると、笹野が気の毒そうに口を開いた。
「君は発症してしまったんだよ。獣人病って言ってね。二十年ほど前に日本で流行った病気なんだけど、まだウイルスの保有者がいたんだね。この病気にかかると外見だけじゃない。次第に思考が衰えて、身も心も次第に獣に近づいていくんだ。中には自我を失い暴れ出す者もいる。二十年前の大流行時には危険指定された獣人達は一斉に処分された。けれど、中には発症したあとも大人しいままで、人間の言うことを聞く獣人もいてね。そういった利用価値のある個体は少数ながらも動物園に収容し、家畜として飼うことになったんだ」
「嘘だ……。そんな……俺は……」
唇が震える。信じられなかった。信じたくなかった。自分に突然こんな耳が生えてきていることも。笹野が言うことも何もかも。
「ユータは発症したばかりだから、まだ自分の置かれた立場がよくわかっていないだろうけど、これから動物園で訓練を行っていく過程で少しずつ慣れていけると思うよ。僕は君を担当する飼育員の笹野(ささの)正明(まさあき)。立派な家畜になれるよう一緒に頑張ろうね」
笹野が宥めるように頭をさすってくる。
「いやだ!」
裕太は絶叫した。声の大きさに驚いたのか笹野が慌てたように裕太の体を抱きしめた。裕太は笹野の腕を振り払おうと力の限り暴れた。
「いやだいやだ! 離せ! 俺は帰る! 帰るったら帰る! こんなところで暮らすだなんて冗談じゃない」
「帰るって、どこへ帰るつもりだ」
園長のせせら笑う声が聞こえる。
「お前の親はとうに塀の中だ。国家財産である獣人を隠し育てていた罪でな。お前が暮らしていた家も検疫法に則りすでに焼却処分されている」
「うそだ……嘘だ嘘だ嘘だ! そんなのっ!」
裕太は両手で頭を抱えた。自分は肌が弱いから外に出られないだけだ。太陽の光が苦手なだけで、獣人病なんかじゃない。母親が自分を騙していただなんて信じたくなかった。頭ががんがんと痛む。床に突っ伏しわあわあと喚いていると、
「耳障りな声だな」
と言って、園長はいかにも面倒臭そうに頭を掻いた。
「おい。笹野。こいつを黙らせろ」
園長が顎をしゃくる。
「家畜は喋らない。家畜に言葉はいらない。喉を潰せ」
「はい」
園長の命令に頷き、笹野はおもむろに作業着のジッパーの前を開けた。下着を下ろし、中からしなびれたペニスを取り出す。汗と尿のにおいをたっぷりと吸い込んだ生臭い逸物だ。
「ユータ。口開けて」
「な、に……」
初めて見る他人の性器にわけがわからず怯えていると、笹野は慣れた手つきで裕太の口を割り中にペニスを押し込んできた。
「んぐっ!」
「歯を立てちゃ駄目だよ。ちゃんと奥まで飲み込んでね。抵抗しようとすればもっと苦しくなるから」
「ンーっ、ん! んぁ」
吐き出そうと思っても、笹野に両頬を掴まれ身動きが取れない。ぐいぐいと口内に入ってくる生温かいそれが何であるか認めたくなくて、裕太は死にものぐるいで暴れた。
「んーっ! ンー! っ……う」
「いい子だから大人しくしてて」
笹野が腰の動きを早めてくる。口の中がしょっぱい。ずぼっずぼっと音がする。自分の唇から出ている音だとは思いたくなかった。
「うっ……ぶ、ぐ……ぅ、うーっ」
苦しい。苦しい。喉の奥を突かれ、呼吸ができなかった。「喉を潰す」と言った園長の言葉の意味をようやく理解する。唇の端からとめどなく唾液か笹野の先走りかわからないものが垂れる。
(なんで俺がこんな目に……!)
目尻に涙が浮かぶ。それを見た笹野が戸惑ったように少しだけ動きを止めた。
「手を緩めるな、笹野」
「すみません」
しかし、園長に指摘され笹野は裕太を心配そうに見やりながら再び腰を動かし始めた。裕太の口の中で笹野のモノがみるみるうちに大きくなっていく。それにまた呼吸を圧迫され、裕太は目眩を催した。
「ぷはっ、ハッ……はっ……ぁ」
それからしばらく抜き差しを繰り返され、意識が朦朧とし始めたとき、ようやく笹野が低くうめいてペニスを引き抜いた。顔にぴしゃりと生温かい飛沫がかけられる。裕太はそれを呆然と見つめた。
「ゴホッ、ゴホッ……」
「ほら、こっちもだ。新入り」
口を覆い噎せていると、再びぐっと顔を持ちあげられる。見ると、飼育員達が列をなして裕太の前に立っていた。皆、ズボンの前をくつろげ右手でペニスをしごいて待っている。制裁はまだ終わらないようだった。
「い、嫌だ……ぁ、んぐっ……!」
抵抗する間もなく新たなペニスが喉元に突き立てられる。
今度はもっと苦しかった。エラの張ったカリが容赦なく裕太の喉奥をごつごつと執拗に突いてくる。今更ながらに笹野が手加減をしてくれていたのだと知る。
「うえっ……えぐ……、んっ……んぐッ!」
このままでは本当に喉が潰れる。潰されてしまうかもしれない恐怖に裕太は震えた。この男が終わっても、順番待ちをしている飼育員はまだ沢山いる。もしこのまま彼ら全員の相手をさせられたらと思うとぞっと鳥肌が立った。
嫌だ。こんなの嫌だ。助けて。助けて――
思わずといったように縋る視線が笹野の方を向いた。
「何呆けてやがるんだ、この家畜が! しっかり奉仕しろ」
しかし、次の瞬間には赤ら顔の飼育員に耳を掴まれ、顔を正面に引き戻される。作り物のように思えた長い耳にはちゃんと神経が通っていたようで、鋭い痛みが走った。いつの間にか口に含まされるペニスが二本に増えていた。空いていた両手は飼育員達にとられ、無理矢理彼らのペニスを握らされる。
「うっ……っ……、んぐ……ふ……」
苦しくて。痛くて恐ろしくて。ぼろぼろと涙がこぼれた。喉の奥で何度も出された。青臭くて粘つく液体を嚥下できないでいると、容赦なく顔を叩かれた。一人、二人と終えていくうちに口の周りがべとべとになった。体が汚れていくことよりも、心がずたぼろにされていくのが辛かった。
「園長。今日はこの辺で勘弁してあげませんか? 連れてこられたばかりでユータもまだ混乱しているようだし」
どうにか三人目を終えたとき、それまで傍観していた笹野が見かねたように助け船を出してくれた。
「あとは僕が責任をもって面倒をみますから」
「お前一人でか? 来週には一般公開を始める。間に合うのか?」
園長は煙草を吹かしながら笹野に訊いた。胡乱な視線をぶつける。
「獣人はうちの動物園に限らず、どこの動物園へいっても客寄せの目玉だ。今回は五年ぶりの新発見とあってニュースでも大きく取りあげられている。この夏、我が園はこいつを目玉に過去最大の動員数を図るつもりだ。見た目はそこまで悪くないようだから、あとはしっかり調教をして、さっさと芸の一つや二つ覚えさせろ。客受けのするやつをな」
「わかっています」
「ふん。ならばお手並み拝見といこうか。失敗は許さんぞ」
園長はそう言って、煙草を床に落とし火を踏み消した。裕太を取り囲む飼育員達に声をかけ、用は済んだとばかりに平然と檻の外へ出ていく。彼らにとって、このような制裁は日常茶飯事であるようだった。
一人残った笹野は裕太の側に近づき、膝を折った。
「大丈夫?」
裕太は思わず後ずさった。ぶるぶると体が震える。
「来たばっかりなのに色々とびっくりさせてごめんね。でもこれからは園長や飼育員の僕の言うことはちゃんときかないと駄目だよ。わかった?」
笹野の手が裕太の耳を撫でる。口を利きたいのに、喉が粘ついて声にならない。それ以上に言い知れぬ恐怖が裕太を支配していた。
ここで逆らったらまたあの制裁を加えられるかもしれない。がちがちと奥歯が鳴った。深く考えもせず、裕太は笹野の言葉に必死で頷いた。
「そう。いい子だね」
そんな裕太の様子を見て笹野は満足そうに微笑んだ。作業着の胸ポケットから何かを取り出す。銀色のチェーンがついた白いネームタグのようだった。ピンク色の枠で縁取られている。
笹野は胸元からマジックも取り出すと、鼻歌混じりにネームタグの上に何かを書きつけ始めた。角ばった汚い字で『ユータ』と記されていくのが見えた。
笹野は名前を書き終えると、慣れた手つきで裕太の首輪にネームタグを装着した。
「てっきり雌が来るのかと思ってピンク色のを用意しちゃったけど、ユータなら大丈夫そうだね。うん。似合ってるよ」
にっこりと笑う笹野に言い返す気力もなく、裕太は呆然と笹野の顔を見つめた。すると、
「そんなに怯えなくてもいいのに」
と言って、笹野は苦笑した。
「僕が怖い?」
目を覗きこまれる。顔が近い。答えられないでいると、笹野は精液の飛び散る頬を掌で拭ってくれた。
「可愛い顔がすっかり腫れちゃったね。みんな、獣人の新入りは久しぶりだから調教に熱が入っちゃったみたいで……こういうことをされたのは初めて?」
笹野の声が心配そうに潜められる。裕太は何度も首を縦に振った。当たり前だ。何のいわれもなくこんな拷問のような仕打ちを受けたのは初めてだ。悔しくて目尻にじわりと涙が浮く。
「そう。ならもっと早く止めてあげればよかったね。ごめんね。ほかに痛いところはない?」
笹野の手が肩から背中へと下りてくる。途端にぞわっと背筋が粟立った。優しい声音で語りかけてくるけれど、この男はさっき容赦なく自分の口にペニスを突っ込んできた人間だ。騙されてはいけない。裕太は尻餅をついたまま体を後ろに引きずった。
「ああ、ごめん。ごめん。そんなに嫌わないで。僕はユータの味方だよ。今はまだわからないことだらけで不安だろうけど、ゆっくり慣れていこうね。僕の言うことをちゃんと聞いていれば何も怖いことなんてないから。ほら。こっちへおいで」
笹野がにっこりと笑う。人のいい笑顔が今はとても怖かった。どうしてこんなことになったのだろう。もう、何もわからなかった。頭を抱えると、首に繋がった鎖がじゃらりと音を立てた。笹野の手が伸びてくる。
「ユータ」
困ったように名前を呼ばれる。
「可愛がりたいのに、いじわるしないで」
頭に手が置かれる。そのままくしゃくしゃと髪を掻き回された。温かな手だった。恐る恐る顔をあげると、笹野はとても嬉しそうに微笑んだ。飼育員を職業にしているぐらいだから、相当に動物好きな男なのだろう。笹野の目には完全に自分が『家畜』に映っているのだ。見た目が人間に似ているだけのただの動物に。
「こんな可愛い子を担当できるなんて、僕は幸せだなぁ」
誰に聞かせるでもなく笹野がうっとりと呟く。「はい、バンザイして」と促されるまま、服を脱がされた。自分は悪い夢を見ているのだと思いたかった。それほど現実感がなかった。
けれど、唾を飲み込むと潰されかけた喉がひりひりと痛む。
それは、遠くで蝉の鳴く声が聞こえる初夏の朝のことだった。
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